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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

哲学者失格

過去の哲学者にとても詳しい人がいる。
これみよ、とばかりに先人の言葉を借りてぼくに攻め入ってくる。

たしかに、過去の哲学に詳しくあることは有用だ。
それは、自分の哲学を肉付けする限りにおいてである。
偉人の名言を振りかざし、「わたしはこんなにも哲学に詳しいのだ!思い知ったか!」という態度を取る人物を哲学者と呼んで良いものか。

過去のことを事細かに学び、それに解釈を加えるのは歴史である。
しかし、哲学は歴史ではない。
哲学とは、自分の結論を用意することである。
過去についての知識が豊富なことと哲学とは無関係だ。


もちろん、哲学が歴史より優れている、というわけではない。
当然その逆も違う。
両者は比較すべきものではないのだ。
それぞれが、人間にとって重要なものである。

過去の哲学に詳しいだけの者は哲学者とは違う。
この者は哲学研究者だ。


過去の哲学を参照することは大いに結構。
重要なことは、そこから自分の結論へと到達することなのだから。

過去の名著を読んだ量が少ないからといって恐縮せずともよい。
「○○を読んでいないなんて、哲学者失格だ!」という批判には聞く耳を持つ必要なし。
その批判は哲学を誤解している。
哲学と哲学研究とは異なるのだ。
哲学とは、虎の威を借る狐になることではなかろう。

知識だけで判断するとは、哲学者失格である。
知識だけを振りかざしてくる者には、ソクラテスの鉄槌をお見舞いして差し上げようではないか。

哲学者は自分の結論を導く強さを持っている。
自分の思考で勝負をするのだ。
哲学者は安易に偉人の言葉を借り、虚勢を張ることはしない。


哲学者よ、強くあれ!
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[ 2013/08/31 19:01 ] 哲学 | TB(0) | コメント(2)
しかし哲学の研究者の論文はどうみても歴史研究にしか見えないのですが?
[ 2013/09/01 00:28 ] [ 編集 ]
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りですね。哲学者の論文は哲学史の解説に終始しているものが蔓延しています。ぼくも憂うべき状況だと思います。
死んだ学問とみなされないためにも、自分の主張を分かりやすく述べることが今後の哲学者には必要であると考えております。ぼくは論壇に立つ身ではありませんが、当ブログで自分の主張を述べていく所存でございます。
[ 2013/09/01 01:52 ] [ 編集 ]
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プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
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