FC2ブログ

哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

ゲームは芸術である

世の中には、昔から語り継がれてきた素敵な物語がある。
そして、現代でも素晴らしいファンタジー作品が生み出され続けている。
そのファンタジーは書物となり、世界中に広まっていく。

それらをわたしたちは、進んで読んでいる。
今世紀最大の感動をあなたに!なんてスローガンと共に。

ファンタジーが書物であれば「読むのを止めろ!」と騒ぎ立てる人は少ないと思う。
ところが、媒体がゲームとなった途端、「そんなものは止めろ!」と騒ぎ立てる人が出てくる。
さてさて、両者の違いは一体何なのだろうか。


一般に書物は知的訓練の象徴とされている。
一方、ゲームは製作者の意図通りに、「やらされている」と認識されている。

書物は積極的であり、ゲームは受動的、といったところか。

ところが、ゲームは自分で操作をしないと物語が進まない。
そして、書物では読みすすれば解決される謎も、ゲームではわたしたちが解決しなければならい。
ゲームが受動的である、という主張は成立しないだろう。
ただ読み進めれば物語が進行するだけ、書物の方が受動的とすら言える。


書物を読んでいるうちに、気持ちが主人公と同化し、物語の世界に入り込む感覚を覚えた人は多いのではないか。
これもまた、感性を豊かにするために、書物としてのファンタジーが推奨される理由であろう。

ところが、この感覚はゲームからも得ることができる。
もちろん、ゲームにもストーリーがある。
ゲームでは、そのストーリーを進めるために、主人公をわたしたちが操作するのだ。
ファンタジーの世界内をある程度行き来することができるのだ。
そして、仲間たちと困難を乗り越え、ハッピーエンドを迎える。
まさに、ファンタジーの世界に主人公として、のめり込んでいる。
わたしたちがたどる道筋は、書物と何ら変わらない。

ファンタジーから受け取る感動に、媒体による差異はないのだ。
もちろん、ファンタジーの内容によって、有利不利な媒体はあるが。

ファンタジーは芸術である。
表現媒体が、書物であろうとゲームであろうと、その事実は変わらない。

ファンタジーの表現媒体である書物は芸術とされている。
同じく、ゲームも芸術なのだ。
関連記事
スポンサーサイト






このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/16 19:41 ] 日常 | TB(0) | コメント(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
★当ブログはリンクフリーです★

twitter
検索フォーム