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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

哲学は無意味である

イデア論というものがある。
古代ギリシアのプラトンが唱えているものだ。
あるカテゴリーには、カテゴリー内の全てに共通するあるものがある、という考えである。

プラトンに言わせれば、この世界とは別に、「イデア界」なるものがある。
われわれ人間も生前にその「イデア界」を経験している。
だから、あるカテゴリーに共通点を見つけ出すことができている。
つまり、イデアを見て取れているのだ。

この話、ファンタジックである。
「哲学なんて意味がない」という人に追撃の一手を与えているようだ。

しかしである。
日常的に、「物事の本質を見よ」というフレーズを見聞きする。
これは、言葉を変えれば「イデアを見よ」ということだ。

物事の本質を探すにあたり、イデア論を知っている人と知っていない人とで、どれほどの差がでるだろか。

イデア論を知っていれば目前の1つの事象と同じカテゴリーに含まれる事象をいくつも並べる。
そして、そこから見つけ出した共通点を「本質」として見出すことができる。

イデア論を知らなくても、本質について考えることはできる。
だが思うに、その場合、目前の1つの事象だけを見て、その本質を探ろうとするのではなからろうか。
もちろん、イデア論を知らない人だって、同じカテゴリーの項目を集まるかもしれない。
しかしそれは、経験によるか、そう指示されたからであろう。

両者の導き出した答えは一致するかもしれない。
しかし、イデア論を知っている人間の方が、はるかに効率的にその答えまでたどり着くことができるだろう。


哲学はそれ自体では確かに無意味かもしれない。
イデア論をいくら詳細に知っていたところで、それ自体では何の役にも立たない。
しかし、哲学は実生活にいくらでも応用することができる。

考えていれば、科学技術にしても、それ自体では何の約にも立たない。
それを使う人間がいて、それを実生活に応用する人間がいて、初めて役に立つのだ。


哲学を学ぶことは無意味かもしれないが、無駄ではない。
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[ 2014/10/05 16:55 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)
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プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
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