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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

「いただきます」に込められた意味

われわれが生きるには何かの死が必要だ。
生と死とは隣り合わせなのではなく、支えあっている。


食事をする前、「いただきます」という。
これには2つの意味がある。

1つは、食事を提供してくれた料理人、食材を提供してくれた農家の人々に対する感謝の気持ち。
人間に向けられたものだ。

もう1つは、その食材に向けた感謝の気持ちである。
われわれの生のために命を捧げてくれた食材に対する感謝である。

全ての食材は命あるものであった。
われわれが生きるために、その命を絶ったのだ。
弱肉強食の世界と言えばそれまでだが、生命維持のために食材となる生があったのだ。

生は死によって支えられている。
われわれにとっては身近な死ではないかもしれないが、われわれの生には数多の死が関係している。
われわれの生きている時間は、他の食材が生きたかった時間なのだ。


食材と贖罪とが同じ音なのは果たして偶然であろうか。
われわれは生きることで食材に対する罪滅ぼしを行っているのだろう。
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[ 2014/09/03 00:14 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)
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プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
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