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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

パラレルワールド

絶対者によって定められた運命というものがあるのだろうか。

もしあるのなら、パラレルワールドという世界は存在しないだろう。
なぜなら、絶対者の定めた運命によって全てが決定されているから。
誕生から滅亡まで、1つの道ができあがっているから。

絶対者によって定められた運命の下ではわたしたちに選択の余地はない。
選択している、という錯覚はあるだろうが、それはあらかじめ決められたことなのだ。
だから、パラレルワールドが誕生することはない。


しかし、絶対者の定めた運命がないとしたら。
世界は私たちの自由意思によって営まれているとしたら。
パラレルワールドは存在し得るだろう。

わたしが今選択しなかった世界、過去に選択しなかった世界、未来に選択しないだろう世界。
そのような世界の可能性が多分にあるから。

パラレルワールドとは、わたしたちによって選択されない世界なのだ。
選択する余地がわたしたちに与えられている世界ではパラレルワールドが存在し得るのだ。

今わたしが生きているこの世界は、どちらに分類されるのだろう。
後者であって欲しいものだ。
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[ 2014/05/14 00:40 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(2)
「存在し得る」という表現にいかほどの意味があるかが問題ではないでしょうか。パラレルワールドは原理的にその存在を肯定も否定もできない、そのことに言及するのは、死後の世界があるかないかを論じることに似ています。

あなたは、パラレルワールドの存在を、絶対者によって定められた運命があるかどうかによるとしていますが、私は関係ないと考えます。
絶対者がはじめから定められた運命の世界を無限個統べており、我々はその中の一バリエーションにすぎないとも考えられます。要はこの世界とは没交渉の世界の話ですから、論理的に矛盾しない仮説はいくらでも作ることは出来ます。
[ 2014/05/21 09:12 ] [ 編集 ]
コメントありがとうございます
>「存在し得る」という表現にいかほどの意味があるかが問題ではないでしょうか。
 
 存在することができる、という程度の意味です。
 運命が支配する世界では存在しない、と対比させたかったので。
 もちろん、運命不在で意思による世界であったとしても、パラレルワールドは存在しないかもしれません。だから、存在し得る(存在することができる)と書きました。


>絶対者がはじめから定められた運命の世界を無限個統べており、我々はその中の一バリエーションにすぎないとも考えられます。

 パラレルワールドというのは、とある分岐点からぼくたちの世界と別れ並行している世界のことでしょう。
 運命に定められた世界は、分岐のしようがありません。
 全てが定められているから。
 絶対者が運命によって無限個の世界を統べているとすれば、それらは全く別個の世界だと考えます。異世界です。
 パラレルワールドとは異なるのではないでしょうか?
 『こころ』の世界に生きるぼくたちと『金閣寺』の世界に生きるぼくたち、の様に交わることはない世界と考えております。
 運命、あるいは物語、が違うのです。

>要はこの世界とは没交渉の世界の話ですから、論理的に矛盾しない仮説はいくらでも作ることは出来ます。

 その仮説の1つとして捉えて頂ければと存じます。
 しかし、原理的にその存在を肯定も否定もできないのに、この世界とは没交渉の世界、と切り捨ててしまうのは勿体無いと思います。
 もし、パラレルワールドが存在するのならば、没交渉の世界とも思えませんし。
[ 2014/05/21 19:38 ] [ 編集 ]
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プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
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