FC2ブログ

哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

人間の解釈と矛盾

世の中に矛盾は付き物である。

果たして本当だろうか?

世の中では様々なものが存在し、活動している。
それぞれの事実は紛れもない事実であり、矛盾が入り込む余地はない。

しかし、冒頭の通り世の中に矛盾は付き物である。

なぜか?

それは、人間が世の中に解釈を加えるからである。

人間は認識したあらゆるものに解釈を加える。
そして、人間の解釈というのは各個人によって異なる。
だから、世の中に矛盾が生じているように見えるのだ。

もともと各個人が認識した事象は、それ自体での矛盾はありえない。
たとえば、そこにバラがある。

この事実に矛盾はない。
(そこに存在しているのは、本当にバラなのか?という問題は置いておこう)

そのバラを見て、ある人は美しいと言う。
また、ある人は刺々しく美しくないと言う。

各個人の解釈により同じバラに対して、美しいと美しくない、という矛盾が発生した。
バラそのものに矛盾は無いにも関わらず。


この解釈の違いから生じる矛盾をぼくたちは嘆くべきだろうか。
ぼくは、人間の特権として喜んで受け入れるべきだと考える。

人間以外の存在は、世の中をあるがままに認識している。
認識しているというよりも、ただ時の流れに従っているだけかもしれない。

ところが人間は、世の中に解釈を加えることができる。
これは、人間に与えられた特権なのだ。
用意された世の中を自分で意味付してよい、という特権なのだ。


人間は、ある事象を一つの角度からしか見ることができない。
それが解釈、意味付というものだ。

全方位的に見れたら矛盾は起きないだろう。
だが、それは神の領域だ。

ぼくたちが人間であることは変えることができない。
ならば、この人間の特権を思う存分楽しもうではないか。
関連記事
スポンサーサイト






このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/03 08:00 ] 哲学 | TB(0) | コメント(2)
矛盾という言葉は人によって使い方が違うのですね。
論理学者なら、A=BとA≠Bが共に成り立つ時、「その理論は矛盾している」と言うでしょう。西田幾多郎は、一様かつ静止状態でないものはすべて矛盾という言葉で言い表します。そういう意味では、智葉さんの言葉遣いに文句をつける筋合いではないのですが、単なる見解の相違を矛盾と表現することには少し違和感を感じます。
盾と矛のエピソードからすると、論理学者の言うような意味で矛盾という言葉を使うのがもっともしっくりくるような気がするのです。
これはあくまで私の主観ですが‥。
[ 2014/04/08 16:25 ] [ 編集 ]
コメントありがとうございます。

Aというものから、Bという見解Cという見解が出てくるのがどうも妙だ、と感じたのが本記事の発端です。
たしかに、見解の違いと言えばそうなのですが…

個々人の見解からすると、A=BもA=C共に正しいでょう。
そして、このBとCが逆の事を表している場合、これは矛盾なのではないか、と考えます。
例えば、Aがバラとして、Bは美しい、Cは醜い。

これを、A=B、A=Cに当てはめるとバラは美しくもあり醜くもある、という矛盾が生じてしまうということです。
[ 2014/04/13 12:27 ] [ 編集 ]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
★当ブログはリンクフリーです★

twitter
検索フォーム