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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

仕事と私事/仕事だから我慢をする

「そりゃ、仕事だからしっかりやるよ」
「これも仕事だからね」

自分の責務を全うする姿勢はとても素晴らしいと思う。
何か不都合なことを隠蔽する理由に使っていなければ、だが。


「仕事も遊びも全力で!」

これにはどこか違和感を感じる。

なぜ、仕事を全力でやっていることに対して、遊びを全力でやっていることを持ち出してくるのか。

人生を全力で生きているのなら、仕事だろうが私事だろうが、言わずもがな全力なはずである。

そんなに自分の「全力」に自信がないのだろうか。


ついでにもう一つ。

「仕事だから我慢しろ」

これは違う。


「組織で活動しているのだから我慢しろ」

これが正しい。

仕事で我慢をする必要は本来的にはないはずだ。
しかし、所属する組織の目指すところ、風土によって、個人の思うようにできないことが発生する。
このときに「我慢」をする必要が生じる。

決して仕事だから我慢が必要なわけではない。
同じ仕事でも、他の組織なら我慢不要、ということも有り得るだろう。


仕事の対比として用いられる私事であったとしても、他者と行動を共にする際には「我慢」する時が来るはずだ。
個人同士の付き合いを「組織」と呼ぶにの大げさだが、仕事で発生する「我慢」と性質は同じである。


仕事だから我慢する、この考えは即刻捨て去るべきである。


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[ 2014/09/13 18:05 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(2)

1人の100%かみんなの80%か

共同作業はこれで進む。

1人の100%、もしくは、みんなの80%

全員が満足する結果を導き出すことはできるが、それがみんなにとっての最善であることはない。
必ず妥協がある。

もちろん、中には1人で引っ張っていくワンマンな人もいる。
そういう場合、そのワンマンの100%で共同作業は進んでいく。

もちろん、ワンマン以外にも作業はあるだろう。
だが、そこに思想はない。
ワンマンの100%ができあがる。
そこにあるチームワークはワンマンの手となり足となること、つまりコマになることだ。


コマになりたくないのなら、ワンマンを阻止しなくてはならない。
ワンマンを阻止するには、ワンマンを80%に引き込むか、代わりに自分がワンマンになるか、だ。

本当にチームワークを大切にするなら、前者で解決をした。

後者では、ワンマンの限界を超えてのことはできないから。
他人をコマとして扱うならチームを組む必要がない。




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[ 2014/09/08 18:46 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

「いただきます」に込められた意味

われわれが生きるには何かの死が必要だ。
生と死とは隣り合わせなのではなく、支えあっている。


食事をする前、「いただきます」という。
これには2つの意味がある。

1つは、食事を提供してくれた料理人、食材を提供してくれた農家の人々に対する感謝の気持ち。
人間に向けられたものだ。

もう1つは、その食材に向けた感謝の気持ちである。
われわれの生のために命を捧げてくれた食材に対する感謝である。

全ての食材は命あるものであった。
われわれが生きるために、その命を絶ったのだ。
弱肉強食の世界と言えばそれまでだが、生命維持のために食材となる生があったのだ。

生は死によって支えられている。
われわれにとっては身近な死ではないかもしれないが、われわれの生には数多の死が関係している。
われわれの生きている時間は、他の食材が生きたかった時間なのだ。


食材と贖罪とが同じ音なのは果たして偶然であろうか。
われわれは生きることで食材に対する罪滅ぼしを行っているのだろう。


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[ 2014/09/03 00:14 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
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