FC2ブログ

哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

スクフェス かよちんご飯イベ4 最終

スクフェスのかよちんイベント終了しましたね。
結果はいかがだったでしょうか?

ぼくは目標通り、かよちんの2枚取りに成功しました。

最終スコア   :約24,200
最終ランキング :約18,690

ボーダーが広がったせいか、かよちんの人気がないせいか(´・ω・`)、いつもより楽に2枚取れました。
前者が理由であると信じたい。

まあ、かよちんの人気がなかったとしても、ぼくはかよちんが好きですけどね!


さてさて、新URはことりですね。
別に狙っているわけではないのですが、URは欲しいですね。
かよちんのURが欲しいです。

あまり勧誘しないので、いつURとご対面できるか分かりませんが。

とにもかくにも、無事イベント終了してよかったです。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーサイト



スポンサーリンク
[ 2014/04/30 23:29 ] ゲーム | TB(0) | コメント(0)

インプットとアウトプット

アウトプットをするためには、膨大なインプットが必要である、と言われる。

たしかにインプットは大切であるが、どうも腑に落ちない。


アウトプットをするから、必要なインプットが見えてくるのではないだろうか?


いくらインプットを繰り返しても、自分に必要なインプットは見えてこない。
それこそ、頭デッカチの誕生である。

興味の幅を広げ、インプットの量を増やすのは大いに結構。
しかし、それはアウトプットを繰り返した結果、インプットが必要と気づいたからであろう。

アウトプットを経験していれば、膨大なインプットからヒントを得て更なるアウトプットを行うことが可能となる。

アウトプットをせずにインプットばかりしている人では到底出し得ないようなアウトプットを。


インプット不足という言い訳はもはや不要である。
アウトプットをしつつ、随時追加でインプットをすればいいのだ。



このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/29 18:07 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

スクフェス かよちんご飯イベ3

いよいよ最終前日。
休日なもんで、しっかり取り組めますね。

気になるボーダーはあまり上がらず。
2枚取り狙いなので、21000狙いです。

ボーダー拡大はナイス運営ですね。

ご飯を溜めて、夜に使い切って明日はシャンシャンせず。

これで2枚頑張る(`・ω・´)


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/29 13:07 ] ゲーム | TB(0) | コメント(0)

スクフェス かよちんご飯イベ2

ご飯集めてますかー

ぼくは無事かよちんをイベント報酬で貰えました。

なんとか、ランキング報酬でも貰って覚醒させたい。

そのランキングですが、10000位辺り。
21000までだから、今の調子で大丈夫…とはいかないのが嫌なところ。

スコア4倍曲が解禁されたので、ご飯溜め込んでた人が爆発させて、順位暴落の恐れが…

毎度毎度この読めない展開が怖い。


しっかり食いついて、かよちん覚醒させるぞー!


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/26 11:00 ] ゲーム | TB(0) | コメント(0)

スクフェス 小泉花陽、こと、かよちんのイベント

スクフェスでイベント始まりました。
今回はSR花陽(かよちん)がもらえるイベント。

ミューズの9人では人気が無いようなかよちん。


でも、ぼくは大好きなんです!
一緒にご飯を食べたいです。


これは是非とも3枚取りを狙いたい。

が、現実は厳しそう…


3枚取る意気込みで、2枚は確実に取ろうかと。

覚醒させるよー!

しかし、まだ3000点(´・ω・`)


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/20 22:04 ] ゲーム | TB(0) | コメント(0)

平等な世界

プラトンは著作『国家』の中で、子供は生まれたらただちに親元を離れ国家が預かるべきである、という旨の主張ある。

初めてこれを読んだとき、なんだこれは、と思った。
なぜなら、家族というものは認められていないからだ。
親も子供もお互いを知ることができない。
なんとも無味乾燥な国家であろう、と思った。


今でもこの考えがいいとは思えない。
ぼく自身、いずれは子供が欲しいし、子供とは一緒に年を重ねたい。
これがなぜか?という理由はぼくにもわからない。
でも、とにかく子供と年を重ねたい。


だからといって冒頭の、『国家』の主張を全く無視していいものだろうか。
平等な国家を築く上では、必要な考えのように思えてきた。

平等な国家を実現するには、家族というものは邪魔なのではないだろうか。
親の七光りという言葉があるように、先代の力が大きな影響力を及ぼすことがある。
日本だけで見ても、東京大学の入学生9割が親の年収900万以上、という事態が生じている。

もちろん、入試を突破した本人の努力が最も大きい。
だが、塾に通う、問題集を買う、入学後の学費を払う、という親からの援助がなくては成し得なかったことでもある。
もし、親の年収に関係なく全員が、等しく平等に塾通い、問題集を買えたら、今いる東京大学生の何人が東京大学生として残ることができるだろうか。


子供の進路に親の与える影響は大きい。
機会は平等に与えられているというが、実はそうでもない。
たしかに、塾に通う機会、入試を受ける機会は平等に与えられている。
だが、それを実行することができるのは、親がそこから発生する費用をまかなえる場合に限るのだ。
子供にとって、これが平等な機会、と言えるだろうか?

不平等であろう。


このような不平等をなくすために、国家が生まれたときから子供を預かる、ということは有効だ。
全員が国家の子として扱われるため、先代による不平等が発生しない。

これは国家にとっては望ましいことかもしれない。
だが、個人にとってこれは望ましいことと言えるのだろうか?

望ましいのだが、ぼくがこれを理解できる域にまで達していないだけなのだろうか?


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/17 21:03 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)

世界の見え方

ぼくたちは同じ世界を生きている。
そして、同じ世界を見ている。

だが、同じ見方はできない。

日常的なことでは、体格の違いによって、世界の見方は変わる。

そして、自分の経験によっても見方は変わる。

ある人には、渋谷の輝きは眩しく見え、またある人には汚らしく見える。


ぼくたちは、同じ世界を見ているが、そこから見出す意味はそれぞれ異なる。

どんなに分かり合えた二人でも、世界の見方は微妙に違う。

分かり合えた人と見方が違ったからといって、あの人は変わってしまった、と結論づけてはならない。
分かり合った二人それぞれに世界があるのだから。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/17 20:32 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)

課題と休息

課題に打ち込むことは重要だ。
それなしに課題を解決することはできない。

また、課題を解決するということは、一歩前進することでもあるので
課題の解決は非常に重要である。

だからといって、四六時中課題と向き合っていては中々解決できない。

回り道に見えるが、休息が必要なのだ。

休息には2つの効果がある。
1つ目は、意味通り、休むこと、英気を養うことである。

2つ目は、自分の考えを整理することである。
課題と向き合っていてはどうしても、視野が直前のものに限定されてしまう。

休息を利用して、課題から離れる。
そうすることで、課題の全体像が見える。
自分の軌道が見えてくる。

この2つ目の休息の効果により、戦略を練ることができる。

休息を侮ってはいけない。

もちろん、大原則は課題に全力で打ち込むことであるが。

打ち込んだ人間だからこそ、休息も有効に使うことができるのだ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/15 20:48 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

テレビ番組とヤラセ問題

テレビ番組でヤラセ問題が時々発覚し、世を賑わすことがある。

ヤラセの発覚で打ち切りになった番組も少なくないだろう。

ところで、このヤラセは一体何がいけないのだろうか?
ヤラセ問題が話題となるのは、たいていバラエティ番組である。

バラエティ番組の主な目的は「面白い番組であること」でしょう。
これを達成するために、ヤラセが一つの手段として用いられることは許容してもよいのではないだろうか。
バラエティ番組内で、それぞれの役割を演じるているのだから。

バラエティ番組は新しい知識を発見することも、スポーツの様に技量を競い合うことも目的ではない。
(もちろん競い合うこともあるが、それも面白い番組を達成するための手段としてであろう)

極端な例だが、芝居とバラエティ番組の構造は同じであろう。
それぞれ、台本にそって物語が進んでいく。
芝居には出演者それぞれに役割があり、出演者はそれを演じる。
この演じるという行為は一種のヤラセといえよう。
だが、このヤラセを責める人はいない。
芝居だから、出演者はやらせれて当然、と視聴者が考えているからであろう。

ところが、バラエティ番組になった途端、このヤラセは許されないものとなる。
バラエティ番組のヤラセに寛大になってもよさそうなものだが・・・


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/13 21:43 ] 日常 | TB(0) | コメント(0)

使命

人間には使命というものがあるそうだ。

この使命は、先天的に与えられるのか、後天的に見つけ出すのか、果たしてどちらであろうか。

自分が育ててきた能力から使命を見出す、僕はこうありたいと思う。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/13 12:29 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

人と神

人は祈る

それはどのような時か


自分の力ではどうにもない事柄に遭遇した時

自分では解決できそうにない事柄に遭遇した時


自分の力量を超えた事柄に遭遇した時、人は祈る


つまり、確証が持てないから、自信がないから祈るのだ


全て自分の力で解決できる存在に祈りは必要ない


人は神に祈りを捧げるが、全能なる神は他の何かに祈りを捧げない


祈りとは、強者にすがる弱さなのか

そうかもしれないが、
まだ見ぬ存在を信じる強さ、とも言える


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/06 17:29 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

人間の解釈と矛盾

世の中に矛盾は付き物である。

果たして本当だろうか?

世の中では様々なものが存在し、活動している。
それぞれの事実は紛れもない事実であり、矛盾が入り込む余地はない。

しかし、冒頭の通り世の中に矛盾は付き物である。

なぜか?

それは、人間が世の中に解釈を加えるからである。

人間は認識したあらゆるものに解釈を加える。
そして、人間の解釈というのは各個人によって異なる。
だから、世の中に矛盾が生じているように見えるのだ。

もともと各個人が認識した事象は、それ自体での矛盾はありえない。
たとえば、そこにバラがある。

この事実に矛盾はない。
(そこに存在しているのは、本当にバラなのか?という問題は置いておこう)

そのバラを見て、ある人は美しいと言う。
また、ある人は刺々しく美しくないと言う。

各個人の解釈により同じバラに対して、美しいと美しくない、という矛盾が発生した。
バラそのものに矛盾は無いにも関わらず。


この解釈の違いから生じる矛盾をぼくたちは嘆くべきだろうか。
ぼくは、人間の特権として喜んで受け入れるべきだと考える。

人間以外の存在は、世の中をあるがままに認識している。
認識しているというよりも、ただ時の流れに従っているだけかもしれない。

ところが人間は、世の中に解釈を加えることができる。
これは、人間に与えられた特権なのだ。
用意された世の中を自分で意味付してよい、という特権なのだ。


人間は、ある事象を一つの角度からしか見ることができない。
それが解釈、意味付というものだ。

全方位的に見れたら矛盾は起きないだろう。
だが、それは神の領域だ。

ぼくたちが人間であることは変えることができない。
ならば、この人間の特権を思う存分楽しもうではないか。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2014/04/03 08:00 ] 哲学 | TB(0) | コメント(2)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
★当ブログはリンクフリーです★

twitter
検索フォーム