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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

自己欺瞞 素直に認める強さ

自分に限界を作るな
とはよく聞く言葉である。

自分で自分の限界を作るのはたしかに良くない。
得てして人間はネガティブに考えるため、本当の限界以下を、自分の限界として設定してしまうからだ。


だが、人間には限界がある。
これは認めなくてはならない。

思わぬ成果を出すこともあるが、それは自分の限界を正しく認識していなかったからである。
決して限界を突破した訳ではない。

人間は有限な存在なのだ。


肝要なことは、以下である。
自分に限界があることは認める。
その上で、自分に限界を勝手に作らないことだ。

自分に限界を作るな、とは、自分は何でもできる、と錯覚させることではない。



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[ 2013/11/21 12:44 ] 人生 | TB(0) | コメント(0)

自分の限界を突破する

意見が食い違う。
しばしば起こることだ。
人間である以上、避けて通れないものである。

意見が食い違う。
つまりは、人それぞれが意見を持っている、ということを意味する。

意見が違うことは、あなたと私とが違う人間であることの証とも言える。

なのになぜ?人は意見が食い違うと、鬼の形相で相手を攻撃するのか。

あなたと私とが違う人間であることは認めている。
ではなぜ、意見の食い違いは認められないのか?
さらには、意見の違いで人格までをも否定する勢いだ。

意見が食い違うのは当然のことである。
われわれが取るべきは、食い違いの粛清ではない。
食い違った両者の共存である。


他人の意見を否定しているだけでは、自分の限界以上のことはできない。
他人の意見と共存することで、自分の限界を超えることが可能となる。

肯定は否定を凌駕するのだ。


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[ 2013/11/20 17:18 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

社会から隔離されている場所

社会の喧騒から逃れられる場所。
安らぎを得ることのできる場所。

それが、家、である。

逆の見方をすると、
最も個人的な場所
社会から最も隔離された場所


家にいる限り、生の情報は入ってこない。
全てが、何かしらのメディアを通しての情報だ。
(情報主体で見ると、生の情報を受け取る私という個人もメディアになり得るが、それは別の機会に)

家にいる時、その外がどのように変えられようと、私は気づくことがてきない。
家に入った時と家から出た時、私が足を踏み入れるのは、本当に同じ世界だろうか?

家からでる度に、非常に良く似た、別の世界を旅しているのかもしれない。
家では孤立しているため、真意は分からない。

思考実験はこの辺にしておき、、、

家とは安らぎの場である。
しかし一方で、とても孤独な場所でもあるのだ。


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[ 2013/11/18 08:52 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)

特別な日

今日はぼくにとっては、いつもと変わらぬ毎日。
平凡な毎日と変わらない日。

でも、誰かにとっては素敵な記念日。

きっと、毎日が誰かの記念日、特別な日。


結局、人間にとって大切なのは、自分にとって特別な日であること。

だから、誰かの特別な日でも、いつもと変わらぬ毎日とボヤくことができる。


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[ 2013/11/06 22:18 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
★当ブログはリンクフリーです★

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