自分にとってやりがいのある仕事
これを会社から与えてもらおうと望むことがあるようだが、いささか疑問である。
会社の第一目標は「利益の最大化」なのだから、そこで働く人の「やりがい」までは面倒みてくれない。
こう考えるのは自然だと思うのだがどうだろう。
会社からやりがいのある仕事を与えてもらおう、などと考えているのは極めて自分本位であり、なおかつ受動的だ。
会社の本来の目的を忘れている。
組織の一員なのだから、意見を言うことを許されている、というのも舞い上がった妄想だ。
所詮は、雇われの身なのだから。
自由なことをやらせてくれる会社がいい、というのも同じくらい自分本位である。
たしかに、自由なことをやらせてくれる会社はある。
しかし、それは会社の決めた範囲内での自由なのだ。
それをはみ出すことは許されないし、雇われの身である以上受け入れねばならぬ事実だ。
さて、少し話がそれたので元に戻そう。
会社からやりがいのある仕事を与えてもらおう、などをいうのは極めて自分本位なことだ。
「やりがい」というのは、仕事に限らず自分で見つけ出すものだ。
「やりがい」のある趣味を他人から与えられましたか?
自分で探したでしょう。
「やりがい」のある人生設計を他人から与えられましたか?
自分で探しているでしょう。
なぜ仕事になった途端、「やりがい」を会社が恵んでくれるのか。
一度冷静になるべきだ。
やりがいのある仕事にありつくには、次の2つの方法しかない。
① 与えられた仕事にやりがいを見つけ出す。
② 自分でやりがいのある仕事を見つけ、それを実践すること。
雇われ・独立は問わない。
会社に所属して仕事をしている限りは、ほとんど①の選択肢しかないだろう。
自分の担当した仕事からむりやりにでも「やりがい」を見つける努力が必要だ。
①は与えられてばかりで、非常に受動的であり、ただの我慢大会のように見える。
しかし、他人からこちらの都合お構いなしに仕事を任されるため、自分が予想だにしていなかった仕事と出会えるチャンスがある。
世間では、雇われの身なんて、社畜なんて、というが修行の場としては会社は最適と考える。
おまけに、定期的にお金をくれる。
ま、契約をしたのだから当然のことだが。
雇われの身となり会社に尽くすことは「自分探しの旅」という謎な理由をつけて世界中を無意味に飛び回るより、よほど有意義だと考える。
②は本当に自分のやりたい仕事だけが可能である。
もちろん、自分を売り込んで雇われの身となればこの限りではないが。
起業、独立をした際には、自分の好きな仕事を思う存分することができる。
当然、したくない雑務も増えるが。
四六時中やりがいのある仕事に打ち込めるのだから、本来的な仕事のあり方は②である。
しかし、現実にはある組織に所属して仕事をしている人が大半である。
(かく言うわたしも組織の一員である。よくもまあ、偉そうなことを言っているもんだ)
それは、人間は複数で協力することによって、一人では成し遂げられないことを行うことができるからだ。
独立している人は、それら組織の隙間を埋めるような働きをする。
本来的な仕事は②である。
したがって、独立するにせよ、組織に属するにせよ、「やりがい」は事前に見つけるべきだ。
まだ見つかっていないのなら、目前の仕事から無理やりにでも「やりがい」を見出す。
そして、自分を売り込んでいく。
自分が何をしたいのか、は早急に見つけ出すべきだ。
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