FC2ブログ

哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

一人遊び

公園で遊ぶ子供を見かけた。

彼は一人だった。

そして、とても楽しそうに遊んでいた。

何をしていたかって?

水遊びだよ。


僕がみる限り、とても楽しそうだった。
一人なのに。

それに対して僕ら大人ときたらどうだ?

一人で遊ぶのは恥ずかしい。
どうせ、ぼっちだし。

僕らにもあったはずだ。
ただ一人で、無心に没頭できるものが。


それが、世界を知るにつれできなくなってきている。


童心に帰れ、とは言わない。
しかし、童心を思い出せ。

一人であろうとも全てが楽しかったあの頃を。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーサイト



スポンサーリンク
[ 2013/08/31 20:46 ] 人生 | TB(0) | コメント(0)

哲学者失格

過去の哲学者にとても詳しい人がいる。
これみよ、とばかりに先人の言葉を借りてぼくに攻め入ってくる。

たしかに、過去の哲学に詳しくあることは有用だ。
それは、自分の哲学を肉付けする限りにおいてである。
偉人の名言を振りかざし、「わたしはこんなにも哲学に詳しいのだ!思い知ったか!」という態度を取る人物を哲学者と呼んで良いものか。

過去のことを事細かに学び、それに解釈を加えるのは歴史である。
しかし、哲学は歴史ではない。
哲学とは、自分の結論を用意することである。
過去についての知識が豊富なことと哲学とは無関係だ。


もちろん、哲学が歴史より優れている、というわけではない。
当然その逆も違う。
両者は比較すべきものではないのだ。
それぞれが、人間にとって重要なものである。

過去の哲学に詳しいだけの者は哲学者とは違う。
この者は哲学研究者だ。


過去の哲学を参照することは大いに結構。
重要なことは、そこから自分の結論へと到達することなのだから。

過去の名著を読んだ量が少ないからといって恐縮せずともよい。
「○○を読んでいないなんて、哲学者失格だ!」という批判には聞く耳を持つ必要なし。
その批判は哲学を誤解している。
哲学と哲学研究とは異なるのだ。
哲学とは、虎の威を借る狐になることではなかろう。

知識だけで判断するとは、哲学者失格である。
知識だけを振りかざしてくる者には、ソクラテスの鉄槌をお見舞いして差し上げようではないか。

哲学者は自分の結論を導く強さを持っている。
自分の思考で勝負をするのだ。
哲学者は安易に偉人の言葉を借り、虚勢を張ることはしない。


哲学者よ、強くあれ!


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/31 19:01 ] 哲学 | TB(0) | コメント(2)

正義と人間~人間は正義を扱えるか~

争いが起こる。
そこには必ず介在するものがある。

正義

争っている者同士が自分の正義を掲げて闘いに臨んでいる。


真の正義とは皆が賛同するものである。
そのため、正義の下で争いが起こることはないはずだ。
しかし、実際には正義の名の元、争いが行われている。
人類の歴史を紐解いても、それは同じである。

争いの場では対立する正義は悪である。
そして、悪とみなされた正義から見れば、その相手は悪なのである。

正義と正義との闘いは、そのまま、悪と悪との闘いとなる。
これは、われわれの掲げる正義が不完全なものだからである。
完全な、真の、正義であれば、正義と対面した時に争いは起こらない。
なぜなら、両者の正義は一致しているのだから。

われわれの掲げる正義は不完全である。
これは、人間が不完全である以上、避けることのできない事実だ。
人間が不完全であるが故に、その人間が掲げる正義は必然的に不完全となる。
不完全なものから、完全なものは生まれないのだ。


そのため、人間界では正義と正義とが対面すると、異質な2つが対面しているかのように見える。
実際は、どちらも正義なのである。
しかし、人間が不完全であるがために、自分の掲げる正義の範囲外の正義は、正義とみなすことができない。
よって、自分の範疇外の正義は悪とみなし、自身の正義の名の元に攻撃を始める。

正義と正義との争いは、いずれ決着が着く。
どちらかが勝ち、どちらかが負ける。

しかし、勝利した正義は何を打ち負かしたのか。
彼が打ち負かしたのは、自分の範囲外の正義なのである。
正義を潰した正義は、その後も正義であり続けることができるのだろうか?
正義と正義との争いが続く限り、また別の正義が襲ってくる。
その正義との争いに勝ち続けなくては正義であり続けることはできない。
この構図では正義が争いを生んでいる。
人間に害をもたらすものとして、悪と同類である。

正義であり続けるためには、あらゆるものに勝利していかねばならないのか?
正義とは、争いの上に君臨するものなのか?

思い出して欲しい、われわれが掲げる正義は不完全な正義なのだ、ということを。
われわれの正義と対面する正義も正義なのだ。
つまり、お互いが正義の一部なのだ。
本来取るべき道は、争いではなく、お互いを取り込み真の正義に近づくことなのだ。


しかし、人間は不完全なのである。
不完全な人間が扱う以上、正義も不完全なものしか扱えない。
人間である以上、正義と正義との潰し合いは避けることができない。
不完全な人間には、正義と正義が対立するように見え、たがいに受け入れ合うことができないのだから。

正義とは、人間が扱うことのできない代物だ。
正義あるところに争いが生じる。
ならば、人間は正義を放棄すべきだ。
正しいことを正しいと思えない人間に、正義を扱う資格はないのだ。

正義を扱うには、人間はあまりに未熟すぎる。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/29 21:13 ] 正義 | TB(0) | コメント(0)

この命、朽ち果てるまで生き延びる

この命を捨ててでも守りぬく!

歴史小説や戦闘漫画でよく聞くセリフだ。
とてつもない覚悟から発せられる一言で、感動シーンとなることも多々ある。

しかし、ぼくは思う。
命はそう簡単に、捨ててはいけないと。
たとえそれが、生死の境だとしても。

どんなに危機的な状況でも、命は必ず守り抜かねばならない。
欲張りに見えるが、この戦闘に勝ち、自分も生き延びる。
これが最も素晴らしい覚悟である。


いかに危機的で困難な局面であっても、選択肢として死を用意してはならない。
命を捨ててでも、と選択肢を用意していれば、生死の境に直面した時にこう思ってしまう。
「命を捨てる覚悟はできている。ここで捨てさろうぞ!さらば、皆の衆」


感動を誘う局面ではあるが、彼は思考停止してしまっている。
生死の境には立っているが、生き抜く方法を早々に諦め、敵の手中に落ちる。
あまりに軽率ではないか?

彼は生死の境に直面したとき、命を投げ捨てる覚悟を決めるべきではない。
彼がすべきは、この窮地から生還する、という決意だ。

死を覚悟した途端、人間は思考停止してしまう。
なぜなら、死の後には可能性がないから。
死にさえすれば、先のことなど考えなくて良いから。

思考を巡らせば自身が生還する方法も見つかるだろう。
生還する可能性が低かろうとも。
生きていれば、次の可能性に遭遇することができる。
つまり、逆転の一手を打つこともできるのだ。
その可能性を捨て命を投げ出すのは、やはり早計だ。
諦めてしまっては、勝てるものも勝てなくなる。

世界より授かった命、自分の勝手な決意でやすやすと捨ててはならぬ。
生き続け、次の可能性を見つけ出す。
そして、困難を打開すべきなのだ。
最後の一瞬まで、生き延びる道を探すべきなのだ。

必要な覚悟はこうだ。
この命、朽ち果てるまで生き延びる!


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/27 19:52 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

哲学とは 難しく考えなくとも良い

問題意識を持ち、その回答を探す。
そして自分の意見を明確にする。
これが哲学というものだ。


哲学というと、小難しく取っ付きにくいと思われている。
それは、なんやかんや難しいことを述べた人が有名になっているだけなのだ。

問題意識を持ち、自分の回答、主張を用意する。
これは多くの人が日々おこなっている。
哲学する対象は必ずしも世のため、人のためになることでなくとも良い。
テーマは悪でも良いのだ。

平易な言葉か難解な言葉か。
問題意識が具体的なものに向いているか、抽象的なものに向いているか。
この程度の違いはあるが、日々みんな哲学をおこなっている。

人類総哲学者なのだ!



このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/27 09:15 ] 哲学 | TB(0) | コメント(0)

ブログアクセス 1000を超えました!

みなさま、ありがとうございます。

本日、ブログの総アクセス数が1000を超えました!
無名弱小ブログですが、ようやくここまで辿り着きました。

これからも、懲りずに記事を更新していきます!
これからは、ぜひご贔屓にしていただければ、と存じます。
高慢ですね・・・

これからもよろしくお願いします!



このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/26 19:03 ] 未分類 | TB(0) | コメント(2)

好きに、自由に選択している

自分は好きなように、そう、自由に物事を選択し実行している。
こう考えている人は多いだろう。
ぼくも、よく自分は自由に物事を扱っている、と思っている。

だが、これは思い込みに過ぎないのかもしれない。
というのも、人間の選択には自身の経験が影響するところが大きいから。


自由に選択しているつもりでも、実は過去の経験に引っ張られて選択している場合もある。
この場合は、経験に選択させられているのだ。
自由ではない。


本当に自由に選択するには、経験を参照するのは良いが、常にあらゆる可能性に己の判断を下さなくてはならない。
そして、選択する以外の選択肢を切り捨てる勇気を持たねばならない。

自由、とは中々に手強い相手なのだ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/26 08:25 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

自由と迷い

人は選択肢が多い状態を自由と呼ぶ。
選択肢が多いことは自由だと思っている。

選択肢が多数用意できることは、選択肢を少数しか用意できないことよりも良い状況である。
しかし、その状態が自由であるとは思えない。
選択肢の多寡は自由とは関係がないように思える。


ぼくが言いたいのはこうだ。
選択肢の多さとは、迷いの多さなのである。
自由とは、あらゆる選択肢の中から1つを選び出すこと。


複数の選択肢がある状態、これは迷っている状態である。
自由な人は迷わない。
自分の自由によって、己が求める1つを選択するのだから。


自由とは1つを選び取ることである。
あらゆる迷いを捨て去り、求めた1つを選び取る、これこそが自由なのだ。

選択肢が多い状況、これは自由に至る前段階なのだ。
自由を手にするには、その先へ行かねばならない。
自らの意思により、その他大勢を切り捨て、1つを選び取る。

自分の欲するものを叶える、これが自由なのだ。
選択肢の数は問題ではない。


あれもこれも、は一見自由に見える。
しかし、その実は自由とは程遠く、迷っているのだ。


当然、あらゆる選択肢を切り捨てることは難しい。
ーだから、迷っている状態なのであるがー
自由を行使して1つを選択するには、次のことが土台として必要である。
自分の求めているものを選ぶ判断、それ以外を切り捨てる勇気。




生半可な気持ちでは自由は行使できない。
判断、勇気がないものは、迷い続けるしかないのだ。
それを自由と錯覚しながら。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/26 00:24 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

人間は平等か

現代の世界では人間は生まれながらに不平等である。
家柄による不平等、生まれた国による不平等。




このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/25 14:57 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

個人と集団

独裁者が牛耳る集団は弱い。
全てが独裁者の判断で決まるため、その独裁者個人の能力を超えた事柄には対応できないのだから。

個人には限界がある。
だから、人々は集団を作るのだ。
その集団内で個々人が協力し合うことで、個人の能力以上の事柄にも対応することができる。

いかに個人主義が蔓延しようとも、集団がなくなることはない。
集団がなくなるとは、社会がなくなると同義だ。
社会なくして人間は生きていけない。
人間一人でできることなんて限られている。

自分は一人で生きている、と思い上がっている人はぜひ振り返って欲しい。
生きるためのライフラインは誰が整備しているのか。
決してあなた自身ではないはずだ。


人間の強さは個人プレイにあるのではない。
人間の強さは集団プレイにある。

この集団プレイは非常に強い。
他の動物は、群れを超えた集団プレイはできない。
だが、人間にはそれができる。
現に、群れを超え、地元を超え、国を超え、人間同士協力している。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/24 16:20 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

男女の付き合い 長いと短い

先日、男女交えての飲み会がありました。
友人同士の飲み会でしたので、恋愛が話題にあがってきました。
合コンみたいですね。

そこで、1つ男女で認識が異なるものがありました。
それは、「付き合いだして何年で長いと感じるか」の違いでした。

男女それぞれ3人ずつだったのですが、長いと感じ始める期間は下記の通りとなりました。


男3人:1年
女3人:2年


まる1年誤差が生じていますね。
それからぼくは、知人と恋愛の話題になるたびに、「付き合いだして何年で長いと感じるか」という質問を投げかけてみました。
(改めて思いましたが、恋愛の話題は本当によく出てきますね笑)

大体、男女20人ずつに聞きました。
若干のズレはありましたが答えは大体同じく下記の通り。

男3人:1年
女3人:2年


この期間の相違は何か。
ぼくは男女の付き合い始め方に影響されるのではないか、と考えました。
よくある男女の交際が始まるパターンは次の通りではないでしょうか。
①男性が女性を気にかける。
②男性が女性にアプローチをする。
③男性が女性に告白をする。
④女性が「はい」と答える。


もちろん、いたるところで女性からのアプローチもあります。
ですが、おおまかは上記の流れと思います(少なくともぼくの周りでは)。
この①~④に男女の好き好き指数を当てはめてみましょう。
ランクは、便宜的に次の4段階とします。

0.知っている人 1.気になる人 2.好きな人 3.君以外考えられない
3は大げさかもしれませんね。

さて、当てはめてみましょう。
①男:1 女:0   男性が女性を気にかける。
②男:2 女:0~1  男性が女性にアプローチをする。
③男:2 女:0~2 男性が女性に告白をする。
④男:3 女:1~3 女性が「はい」と答える。

いかがでしょうか。
私見もありますが、このようなパターンは多いと思います。
みなさんも、女性が「始めはタイプじゃなかったの。でも付き合ってみたら好きになっちゃって・・・」と言っていることを聞いたことがあるのではないでしょうか?

つまり、好きになるタイミングが、男性→女性の順になることが多い。
そのため、付き合いの期間を「長い」と感じる期間もズレるのでしょう。

男性はアプローチをかけている段階で女性をのことがかなり気になっています。
そして、告白するまで何度も彼女のことを考える。
ようやく告白して、付き合えるようになった。
この期間だけでも、男性はかなり好きである期間が女性に先行しています。

さらに、先の証言のように女性は始めは男性のことが好きではないこともあります。
であるから、付き合ってからもある程度の期間は、男性は好きだが、女性は迷っている、という期間が発生します。
そして、1年が経過します。
すると、男性は付き合う前から「好きだ!付き合いたい!」と思っていた彼女と「1年間も」付き合うことができたのです。
これは、喜びの念も込め「長い」と感じるでしょう。


女性は、男性に遅れてですが、男性のことが好きになります。
ただし、1年目は迷っていた期間もあり、「長い」とは感じないのでしょう。
いわば、査定期間のようなものですね。
そして、いつしか男性のことが好きになり、2年が経過すると驚きの念も込め「長い」と感じるのでしょう。

もちろん、この限りではないと思いますが、一般的な付き合い方を考えると好きになるタイミングの違いで「長い」と感じる期間が異なるのでしょう。

みなさん、素敵な愛を育んでくださいね!


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/23 13:12 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

人が生きる。その他大勢の命を預かって。

人が生きる。
そのためには、何かの死が必要である。

われわれ人類は生き続けている。
すなわち、何かを殺し続けているのだ。


死を隠蔽してはならない。
死と直面し、死がわれわれに与えている影響を知るべきだ。


われわれを生かしてくれているものの死を考える。
これにより、われわれ生かされているものの価値がいかに貴重か、分かるであろう。


そして、ぼくたち個人もいつかは死ぬ。
どうせ死ぬなら、他の死を浪費するだけの存在にはなりたくないものだ。
誰かのためになる死、誰かを生かす死、このような死を遂げたいものだ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/22 00:56 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

赤い糸

結婚とは素敵なものだ。

赤の他人同士が惹かれ合い、一つ屋根の下に住み始める。

そして家族の営みをおこない、家族が増えていく。


われわれは、他人にはあまり興味を示さない。

それでも惹かれ合う何かがあるのだ。

赤の他人と苦楽を共にしている。

家族となる前は信じられないことだ。

そのような信じられないことが、結婚により実現している。

結婚により、社会から切り離された安息の場を得ることができる。

結婚により、拠り所、家を持つことができる。



このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/21 23:56 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

心身一元論

精神と身体、この両方が揃って私となる。
私とは精神と身体との複合体なのだ。


精神と身体とが別個のものだとしたら、分裂した精神と身体とは当然別のものとなる。
しかし、それが私となるには、両者が一つにならねばならぬ。
精神か身体、どちらかに吸収されるのではない。

私の条件は精神だけでも身体だけでもない。
精神と身体の複合が私なのだ。




このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/21 00:28 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

全体の幸福のためには

お金は個人の快を増大するためには必要なものである。

しかし、全体の快を増大するためには弊害となる。

それは、個人の快と全体の快とが対立してしまうから。
個人の快が全体の快を考慮できていないから。


幸福には快の最大化が必要だ。

お金は全体の幸福のためには、不要なものである。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/18 23:35 ] 幸福 | TB(0) | コメント(0)

善、そして、幸福

真に幸福な世界には悪人は存在してはならない。
なぜなら、悪人は他者の幸福を破壊する恐れがあるから。
善人だけの世界、を実現する必要があるのだ。


善人だけの世界を実現する方法は2つある。
・人類すべてが善人となる
・悪人を全て駆逐する

いずれにせよ、世界に善人だけを残している。
しかしだ、後者を選択した場合、ぼくたちは善人と言えるだろうか?
自分たちの幸せのために他者を排斥しているのに?

悪人を駆逐する。
この方法では真の善人を残すことはできない。
むしろ、悪人の塊である。


であるならば、残されて道は1つ。
人類すべてが善人となる、しかない。

そして、人類全てが善人となるには、真の善を発見しなくてはならない。
幸福への道のりは非常に険しいようだ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/16 19:57 ] 幸福 | TB(0) | コメント(0)

ゲームは芸術である

世の中には、昔から語り継がれてきた素敵な物語がある。
そして、現代でも素晴らしいファンタジー作品が生み出され続けている。
そのファンタジーは書物となり、世界中に広まっていく。

それらをわたしたちは、進んで読んでいる。
今世紀最大の感動をあなたに!なんてスローガンと共に。

ファンタジーが書物であれば「読むのを止めろ!」と騒ぎ立てる人は少ないと思う。
ところが、媒体がゲームとなった途端、「そんなものは止めろ!」と騒ぎ立てる人が出てくる。
さてさて、両者の違いは一体何なのだろうか。


一般に書物は知的訓練の象徴とされている。
一方、ゲームは製作者の意図通りに、「やらされている」と認識されている。

書物は積極的であり、ゲームは受動的、といったところか。

ところが、ゲームは自分で操作をしないと物語が進まない。
そして、書物では読みすすれば解決される謎も、ゲームではわたしたちが解決しなければならい。
ゲームが受動的である、という主張は成立しないだろう。
ただ読み進めれば物語が進行するだけ、書物の方が受動的とすら言える。


書物を読んでいるうちに、気持ちが主人公と同化し、物語の世界に入り込む感覚を覚えた人は多いのではないか。
これもまた、感性を豊かにするために、書物としてのファンタジーが推奨される理由であろう。

ところが、この感覚はゲームからも得ることができる。
もちろん、ゲームにもストーリーがある。
ゲームでは、そのストーリーを進めるために、主人公をわたしたちが操作するのだ。
ファンタジーの世界内をある程度行き来することができるのだ。
そして、仲間たちと困難を乗り越え、ハッピーエンドを迎える。
まさに、ファンタジーの世界に主人公として、のめり込んでいる。
わたしたちがたどる道筋は、書物と何ら変わらない。

ファンタジーから受け取る感動に、媒体による差異はないのだ。
もちろん、ファンタジーの内容によって、有利不利な媒体はあるが。

ファンタジーは芸術である。
表現媒体が、書物であろうとゲームであろうと、その事実は変わらない。

ファンタジーの表現媒体である書物は芸術とされている。
同じく、ゲームも芸術なのだ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/16 19:41 ] 日常 | TB(0) | コメント(0)

真実との闘い

真実が人間にとって心地良いものである、という保証はどこにもない。

人間が真実を見つけ出したとき、それが人間にとって不都合なものであったら、やはり見て見ぬフリをするのだろうか。


ところが、真実は正しい。
それゆえ、人間の都合には一切聞く耳を持たないはずだ。
ともすれば、非常にワガママと思えるだろう。
真実は正しい、これ一辺倒で迫ってくるのだから。


思うに、真実は見つけ出すことだけが重要なのではない。
真実を受け止める、真実に耐える強さも同時に必要なのだ。



このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/16 19:10 ] 真実 | TB(0) | コメント(0)

人間は真実を追い求める 無条件に

人間は、はるか昔から真実を追い求めている。

とにかく、現状は完璧な世界ではない。
より高次の真実の世界があると信じて。


しかし、その真実が人間にとって良い結果をもたらすかは分からない。
真実であるから、全宇宙にとっては正しいのだろうが。


真実を見つけることすらできていない人間には、真実に耐えうる力があるのだろうか。

僕が思うに、真実に耐えるのは非常に厳しい。
真実であるから、あらゆる欲望は捨て去らねばならないだろう。
なぜなら、欲望は感情と直結しているから。
感情とは、非常に不安定なものである。
その不安定な感情の上に立脚する真実、ということは恐らくない。
真実は不確定要素が排除された、強固なものであろう。

真実が人間に強制するのは、非人間的な活動であろう。
あらゆる欲望は捨て去られる。
また、善意ある行為は認められない。
善意とは、悪意と対になるものだから。
真実の世界に悪意は介入してはならない。
だとすれば、必然的に対概念である、善意の入り込む余地もなくなる。

非常に無味乾燥で、つまらない世界になりそうだ。
そう思うのも、ぼくが真実への高みに達していないからなのだろうが。

人間はなぜ真実を求めるのだろう。
ぼくが考えるような、真実とは異なる真実を見ているのだろうか。


真実にとって人間は不要なのかもしれない。
この可能性は考慮されているのだろうか。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/14 10:46 ] 真実 | TB(0) | コメント(0)

嘘をつく/つかない

ぼくたちは、嘘をつくな、と教わった。
とある哲学者はいかなる状態でも嘘をついてはならない、と言った。
嘘をつく、という行為は正しくない。
事実を述べる、という行為が正しいのだ。

こんな状態ではどうだろうか。

友人が殺人鬼に襲われている。
「かくまってくれ」とぼくたちの家に逃げてくる。

ぼくたちは当然、友をかくまうだろう。


数分後、例の殺人鬼がやってきた。
「ここいらで、こんな人間を見なかったか?」と問うた。
こんな人間、とは、もちろん、ぼくたちの友人である。

ぼくたちは何と答えるべきだろうか。
冒頭の先生方に従うのなら、殺人鬼に嘘をついてはならない。
現にその哲学者は、これが正しいと述べている。

だが、だがしかし、みすみす助けられる友人の命を残酷な殺人鬼に差し出しても良いのか?
ぼくたちは同時に教えられたはずだ、友人とは助け合え、信頼しあえ、と。

この状況で友人を差し出す、という選択は友人の不要を結論付ける。
友人よりも、嘘をつかない行為の方が上位なのだ。

ぼくは許せない。
そんな倫理観はいらない。
この状況、ぼくは迷うことなく嘘をつく。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/13 09:35 ] 真実 | TB(0) | コメント(0)

進撃の巨人を哲学する ED『美しき残酷な世界』から

漫画アニメは娯楽として素晴らしいものである。
同時に、様々な示唆があり考察をめぐらすのにも適している。

ぼくは最近『進撃の巨人』という作品にハマっている。
物語の根幹に迫る考察、今後の予想は各所で行われている。
このブログでは、この作品を通して現実世界での哲学を試みる。
気になる場面を取り上げ、このような記事を今後も書き続ける。
私見タップリだが、ご愛嬌ということで。

記念すべき(?)第1号は物語本編ではなく、アニメでのエンディングテーマ『美しき残酷な世界』で哲学をする。
エンディングテーマなので、物語とも深い関連を持っている歌詞である。

さてさて、タイトルにもなっている『美しき残酷な世界』は『進撃の巨人』本編でも何度も描写がある。
世の中は美しい。
それは、家族がいて、友人がいて、平和な毎日があるから。
笑いがあり、安らぎがあり、頼れる人たちがいる。
なんとも美しい世の中ではないか。

しかし、同時にこの世は残酷なのだ。
それはなぜか。
どれだけ美しく、素晴らしく装っても「弱肉強食」である残酷な競争原理を取り除くことが不可能だからだ。
何かが生きる、繁栄するためには、何かが死に、破滅へと向かわなくてはならない。
これは、強いものが生き、弱いものが駆逐される、まったくもって残酷な世の中の原理なのだ。

『進撃の巨人』ではまさにこれを何度も描写している。
巨人、という人間にとっての絶対的強者。
今は、巨人の前では人間は屈服するしかない。
人間が生きるためには、何をすべきか。
巨人を駆逐しなくてはならない。


人間の世の中を取り戻すには巨人を1匹残らず駆逐しなくてはならない。
つまり、巨人という種の滅亡が人間の繁栄には必要なのだ。
この駆逐は、作中でも主人公(エレン)が何度か口にしている。
彼、エレンは怒りからこの言葉を発しているのだが、強くなくては巨人と争うことはできないことも悟る。
まさに、弱肉強食の世界を生の躰で理解したのだ。

今の世の中は、巨人にとっては美しい世界であろう。
しかし、それは人間にとっての残酷な世界を意味する。

人間にとっての美しい世界、これを実現するには巨人にとっての残酷な世界が必要なのだ。


これは、作中に限った話ではない。
現実世界でも、人間が美しい世界を生きている背景には、あらゆる種の残酷な世界が存在しているのである。
人間にとっては美しい世界である。しかし、その他動植物にとっては残酷な世界なのである。
なにも、人間に捕食される動植物だけが残酷な世界を生きているわけではない。
人間による自然破壊が進んだため、あらゆる生物が残酷な世界を強要されている。


人間は、人間に限らず自然は、美しい。
しかし、その背景には必ず残酷な世界が存在しているのだ。
生かされている、この忘れがちな真実を思い出す。
「美しき残酷な世界」というフレーズによって。



このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/12 20:00 ] アニメ/漫画 | TB(0) | コメント(1)

進撃の巨人11巻 巨人同士の戦い



ネタバレになってしまうので、詳しくは書きませんが
巨人VS巨人の迫力あるバトルが見所の巻です。
また、戦う相手が敵とはいえ、お互いよく知っている間柄なので様々な思いが混在していました。
果たして、エレン(主人公)は吹っ切れることができるのでしょか?
勝負の行方はご自身の目で確認してください!



『進撃の巨人』これから読もう、という方はこの機会にぜひ。




このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/12 00:06 ] アニメ/漫画 | TB(0) | コメント(0)

簿記3級 合格に向けた3つのステップ(日商簿記)

比較的取得しやすく、世間的な説得力もある資格として、「簿記」がありますね。
とはいえ、簿記の知識の無い人が1から学ぶには中々ハードルが高いと思います。
そんな簿記ですが、世に言われている通りきちんと学べば合格は難しくないです。
今回は3級の勉強方法を3ステップに分けて紹介します。
合格の一助となれば幸いです。


①テキストを読む。
いわゆる教科書ですね。
王手予備校の出版しているのだとどれでもいいと思います。
僕が使っていたのは、TACのスッキリシリーズ。


1項目が大体1ページでまとまっているので、空き時間でも読みやすくお勧め。
ただ、猫が商店を経営している、というストーリーで進むため、ポップなテキストが苦手な方は避けたほうがいいかも。

読む際には、「この場で理解しよう」と力まないことです。
覚えたつもりになっても、忘れてしまうことが多いので。
とりあえず読む。②でも説明しますが、問題を解いている最中に「これ見たことあるな」と思い出せれば御の字です。
①は「予習」にあたるものだと思ってください。


②問題を解く。
始めは主に仕訳の問題を解いてください。
問題集を新調するのもいいですが、①の付属品でも十分かと思います。
理想は3週ですが、理解の進み具合によっては1週でも問題ないです。
合否を分けると言っても過言ではない、精算表の問題は仕分けの問題を9割型解けるようになったら挑戦してください。
(9割というのは、ケアレスミスを含みます)
間違えた問題は、①で使用したテキストに戻ってきちんと復習します。

また、仕訳は継続的に解いていきたいので、スマートフォンのアプリを使うのもお勧めです。
ぼくは、「簿記トレ」というアプリで移動中仕訳の勉強をしました。
250円とお手頃価格なので、是非お試しあれ。



③過去問を解く
仕訳を9割型解けるようになったら、過去問に挑戦しましょう。
ぼくが使ったのはこれです。


問題量は申し分なく、予想問題まで付いています。


「精算表の演習は?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、精算表は過去問で勉強するのがよいでしょう。
理由は、精算表の問題自体には、新しい仕訳の知識は登場しないからです。
早く本番慣れをしたいので、実際に出題された問題で解き方を学びましょう。
はじめは時間がかかってもいいので、落ち着いてゆっくり解いてください。
精算表が難しく感じるのは、そのボリュームにあります。。
ボリュームにさえ慣れてしまえば、後は適切な仕訳を切るだけなのでさほど障害となることはないでしょう。

精算表の解き方になれたら、全体の2時間を意識して過去問を通しで解いてみましょう。
目安として直近5年分を2時間以内で解けるように目指しましょう。



皆様のご検討を祈ります!!


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/11 14:19 ] 資格 | TB(0) | コメント(0)

使える人/使えない人

使える人、使えない人、なんと言葉は世間中そこらで聞きますね。


ぼくはこの言葉が本当に嫌い。
使える、使えないという、物でも扱うかのような言葉を人間に浴びせているのが気に入らない。
そして、他人を自分だけの小さな尺度で図るその高慢な態度も嫌い。
たしかに、仲のいい数名が、使える使えないと共通の見解を示すときだってあるだろう。
それにしたって、世間から見たらものすごく小さな尺度だ。


この、使える人/使えない人問題は、人間を手段としてとらえてしまっているから発生するのだろう。
他人は、自分の立身出世のための手段。
だから、あいつは使えるから手札としてとっておこう、あいつは使えないから切り捨てよう、といった思考になるのだ。

競争社会だから、能力差によって評価されるのは仕方のないことだと思う。
(もちろん、皆が平等で幸福な社会を実現するためには、克服しなければならないだろうが)
その業界で能力のある物が上に立つ、資本主義、能力主義である限り避けて通れない道のりだ。
しかし、上に立つ人がいわゆる使えない人を切り捨てるような組織は必ずや弱体化するであろう。
部下の身である人々は、自分がいつ使えない人ととして切り捨てられるか、不安にかられ続けなくてはならないから。
また、そのように自分を道具とみなす可能性のある指導者の下で全力を発揮しようとは思わなくなる。
能力があり、人間の尊厳に対して理解ある上位者が現れたら、こぞってそちらに付くであろう。


能力により階層が生じるのは現代社会において、いたしかたのないことだ。
しかし、能力があるからといって、他人を道具のように扱う人倫の欠けた指導者の下には、破滅しか集まらないだろう。




このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/08 22:28 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

現役サラリーマンが考える 上司に怯えない3つの心構え

サラリーマンやっていると、上司に怯えてしまう瞬間ってありますよね。
今回は、そんな怯えを克服する心構えを考えていきます。
※主に若手と呼ばれる人向けに書いています。

1)今の上司は永遠ではない
当然ですが、これ重要だと思います。
ひょんな人事通達で、上司、または、自分自身が他の部署に異動することは必ずおこる現象です。
どちらが異動するにせよ、その上司の元を離れるわけです。
だから、「こんなこと言ったら評価下がるかなぁ」なんて怯える必要はないんです。
すぐに評価者は変わるのですから。

2)今の上司はいつまで会社にいるか
今の上司の評価が低ければ昇進も難しいかもしれません。
ですが、自分の昇進に何ら影響がないのなら上司に怯える必要はないですよね?
上司の指示に怯えるのは、業務を全うできなかった際に責任を取らされ、評価が下がってしまうからです。
低い評価だと昇進にも影響するので、しぶしぶ上司の言うことにただ従ってしまう、なんてこともあるでしょう。
さてさて、今の上司はあなたが昇進するまで会社にいるでしょうか?
平から主任になる、その程度のタイミングなら会社にいるかもしれません。
しかし、あなたが課長や部長という昇進を目の前にしたとき、今の上司は会社にいるでしょうか?
恐らく、いないのではないでしょうか?
ならば、今の上司を恐ることは何もありません。
言いたいことは言いましょう。
時には対決もしましょう。
媚を売るのは部長や課長ではありません。
10歳程年上の先輩方です。
なぜなら、あなたが重要な昇進をする際の権力者は彼らなのですから。

3)会社はいつなくなるかわからない
どうしようもない話ですが、会社はいつなくなるかわかりません。
会社が潰れてしまえば、上司も何も関係ありません。
また、あなたが転職を考えている場合も同様です。
いつか離れる会社の上司にいつまでも怯えているようでは、外の世界でもうまく立ち回れないでしょう。



以上3点が、上司に怯えない心構えです。
ですが、上司と良い関係を築けるのが一番いいですよね。
怯えない心構えとして参考にして欲しいですが、上司と決別はしないようにしてくださいね。
もちろん、理不尽な上司なら話は変わってきますが。
ではまた。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/07 20:31 ] 日常 | TB(0) | コメント(0)

現役サラリーマンが考える クールビズ3つのアイテム別色の選び方 トップス編

暑いですね。
皆様の職場ではクールビズは定着していますか?
制度はあるけど、なんとなく今までの服装にとどまっている方、既に満喫している方、色々だと思います。
ちなみに、僕は大いに活用しています!

今回は、クールビズを実行しているぼくが考えるポイントを紹介します。
とても便利な3つのアイテムです!

1)七分袖シャツ
入門編としては最も良いでしょう。
なぜなら、自分、他人の様々なニーズを満たしてくれるからです。
まず自分のニーズ。
・せっかくだから、涼しい格好をしたいなぁ
・でも、大きな変化は周りの目を気にしちゃうなぁ
・かといって長袖シャツを着続けるのも暑いしなぁ
こんな悩みは一撃です!

七分袖は半袖と同じくらい涼しいです。
ズボンからは出して着るので、風通しが良いです。
そして、七分なので「腕まくりをした長袖シャツ」感覚で着用できます。
程よいラフさも出しつつ、涼しい格好を提供してくれます。
お勧めの色は、白や青系統。
爽やかさを増してくれます。

続いて、他人の要望。
腕まくりをしている男性が好き、という女性は多いです。
シャツから除く、腕の筋がとてもいいらしいです。
七分シャツは、ナチュラルな状態で腕まくりをしているようなもの。
もちろん、七分シャツを腕まくりするのも有り。というかお勧め。

素材を変えるだけでも、表情が変わりますし、とても便利なアイテム。

2)ポロシャツ
王道ですかね。
でも、職場に取り入れるにはちょっと勇気がいるかも・・・なアイテムだと思います。
ポロシャツは、青や白もいですが、せっかく普段のワイシャツと大きく変わるので色も大胆に変えましょう!
ズバリお勧めは、薄ピンクとラベンダー。
赤の入っている淡い色がお勧めですね。
普段、白や青のワイシャツが多いサラリーマンが、可愛らしい淡い色を着ると見た目がかなり変わります。
薄ピンクやラベンダーに抵抗がある方も、一度着てみてはいかがでしょうか?

3)長袖シャツ
あえて、長袖シャツをラフに着るのもアリだと思います。
ラフな白シャツは、老若男女問わずいい印象を与えることができますしね。
でも、せっかくなので普段スーツとは中々合わせられない色を着てみるのはいかがでしょう?
お勧めしたいのは、黒の長袖シャツです。
腕まくりするもよし、ビシっと決めるもよし。
黒シャツは体もしまってみえるので、ハンサム度アップも間違いなし!
ただ、注意したいことは、ホストっぽくならないこと。
胸元のボタンのあけ過ぎに注意ですね。
第2ボタンまで開けるのがスマートではないでしょうか?
個人的には、H&Mのシャツがお勧め。


と、3点あげましたがいかがでしょうか?
「そんなに服ないよ!」という方、ご安心ください。
ユニクロ、GAPがお手頃価格で提供してくれています。
「いい年した男がユニクロ、GAPかよ・・・」なんて思わないでください。
いいアイテム揃っています。
例をあげましょう。
ユニクロの薄いピンクのポロシャツは1500円。ボタンダウンタイプなのでしっかりした印象も与えます。
デザインも細身で、今風といえるでしょう。

まだ、暑い夏は続きます。
やせ我慢でクールビズを導入していない方は、これを期にぜひ涼し職場を体験してください!





このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/06 20:07 ] 日常 | TB(0) | コメント(0)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
★当ブログはリンクフリーです★

twitter
検索フォーム