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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

継続は力なり

継続は力なり

継続をしていれば、能力が上がり力となる。

しかし、急いでは行けない。
この継続は、自分の受け入れられる範囲での継続であることが望ましい。
一時的に見ると、莫大なキャパオーバー、という状況はあるにせよ。
全体を通すと、自分のキャパ+1パーセント、これで良いのではないだろうか。


初めは、能力の母数が小さいため1パーセントのレベルアップがたいしたものに見えない。
むしろ、レベルアップしているか分からない程度であろう。

ここで無理をして詰め込まないのが、継続は力なり、である。
毎日1パーセントずつレベルアップしていくと、母数が大きくなる。
そのため、レベルアップの幅が飛躍的に大きくなる。

この域に達するには、それなりの時間が必要であろう。
短期間でのスキルアップを望むのは、誰しもあることだ。
しかし、短期間の無理した詰め込みによって、自身を潰してしまう、という状況に陥ると全くの水の泡である。

自身の成長をあせることなく見守る、これが、継続は力なり、である。


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[ 2013/05/31 08:59 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

変わらぬ日々

変わらぬ日々を過ごしている。
毎日毎日、同じことの繰り返し。


ちょっと待とうか。
日々が変わらない。
本当にそうだろうか。

使う物を変える、身につけるものを変える。
これだけで、違った日になるはずだ。

ちょっとの変化を楽しむ。
ちょっとの変化を取り入れて見る。

こういったことを意識すれば、毎日がありきたりの毎日ではなくなる。



そんなことで、毎日が変わるもんか。
そう思うのは、自分で毎日を生きようとしていないから。

突然の奇跡を期待しているから。
いや、期待しすぎているから。


楽しい毎日は、自分から働きかけなくては訪れない。
無償で他人に楽しい日々を提供するほど、第三者は優しくない。


変わらぬ毎日、それは、変わろうとしない自分、に対する言い訳なのではなかろうか。



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[ 2013/05/26 12:37 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

人間の単位

人間は一人二人と数える。

死者となった途端、一体二体と数える。

生者と死者とを同一視したくない人間心理の現れだろうか。
なんとも悲しいことではないか。

者と物との差別、あるいは区別。
生前、世界を分かち合った仲間に対する態度として、なんとも酷い仕打ちではないだろうか。

生き残るものは、死を現実として受け止めねばならぬだろう。
それも、生者から遠ざける形ではなく。

死者も一人の生者だったのだから。

死者となった途端、自身から遠ざける。
これほどの裏切りが日常に溢れかえっている。
やはり悲しいことである。


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[ 2013/05/25 14:28 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

可能性と実践

選択肢が多い、つまり可能性が多数ある、状態は良いものとして好まれる。
しかし、可能性の段階では何事も未実現である。
実践、これをおこなうことで初めて可能性は意味を持つ。


できる状態、つまり可能性の段階、ではあまり価値はない。

可能性は実践によって、世界に表現される。
可能性と世界をつなぐのは、実践である。


素晴らしい、と思う可能性があるのなら即座に実践しよう。
可能性に血肉をあたえ、世界に導こう。


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[ 2013/05/22 08:21 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

咳完治す

長引いた咳ともついにお別れができた。

普通に声が出せる、話の途中て咳が邪魔をしない。
これだけで、なんと素晴らしいことか。


新たな幸せに出会った気分だ。


しかし、これは日常として、私に与えられていたものだ。
私は小さな幸せを疎かにしていたようだ。


小さな幸せ、日々の幸せ、これらは幸せの基本であろう。
幸せを手に入れるためには、こういった些細な幸せを感じとれる、基本を忘れてはならない。




基本が故に疎かになりがちである。
基本に忠実に。日々の幸せを噛みしめていこう。

素敵な日々に感謝♫こんな戯言ではなく、自らの幸せを噛みしめるのだ!


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[ 2013/05/20 01:06 ] 日常 | TB(0) | コメント(0)

ここ数日咳が止まらない。

頭痛、発熱にはしばしば悩まされてきたけれども、咳は初めてだ。


もちろん今までも喉が痛かったことはある。

でも、その咳は発熱の部下としての咳であった。

熱が退くと同時に咳も退いた。



ところが、今回の咳は主役である。
我が人生において初のできごとだ。


実際元気なのである。
しかし、咳が全てを邪魔する。
そう、まるで今まで日の目を浴びなかったが故に、今こそ好機!と言わんばかりである。

咳が出るとコミュニケーションが阻害される。
何をするにも、集中力が途切れる。
困った奴だ。


さあ、咳よ、君が主役の物語、そろそろ終わりにしてもいいんじゃないかい?



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[ 2013/05/14 22:15 ] 日常 | TB(0) | コメント(0)

国境国籍をなくせ!の話

国境をなくし国籍をなくし、世界を一つの国家にしよう。
そして、世界市民として平等な世の中を作ろうじゃないか。

こんな話を聞くが果たしてどうだろう。

国境、国籍にそんなに世の中を変える力があるだろうか。


国による差別が話題に上がった時に、こんなフレーズを聞かないだろうか。
「国籍なんて関係ないのにね」
これは、国籍がなくなれば、つまり、国境がなくなれば差別はなくなる、と思っているから発せられる言葉であろう。
しかし、国籍国境がなくなり、地球に住む人が全て同一国家の人、地球人となったとする。
これで差別はなくなるだろうか?

僕はなくならない、と思う。
国籍に変わって、地方が台頭してくる。

地方による差別。そんな時代が来るだろう。
そこでは、こんな話がなされているはずだ。
「地方なんて関係ないのにね」

つまり、国籍国境をなくしたところで何の解決にもなっていない。
国籍という言葉が、地方という言葉に侵略されただけである。

国による不平等をなくすためには、差別する人間の心、をなくさなくてはならない。
差別する心がある限り、どれだけ表面を見繕っても無意味である。
制度を変える時間だけ、無駄といってもいかもしれない。損失である。

国境国籍をなくし、世界の平和を実現する。
当然素晴らしい心構えだと思う。
そして、同時に人間の差別する心、これもなくそうではないか。


しかし、人間は差別する心を卒業することができるのか。
何万年という人類の歴史は差別と共存してきている。
もしかすると、人間である限り、差別する心から離れることはできないのかもしれない。

猿人からの進化のように、人類はさらなる進化が必要であろう。
思想的により完成された存在への進化が必要なのだ。


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[ 2013/05/09 19:28 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

視力

僕は視力がとても悪い。
今かけている眼鏡の度も合わなくなってきた。
そろそろ買い替えよう、と思っている次第である。


ところで、視力を失うと今まで見えていなかったものが見えてくる、と聞く。
心眼である。

僕は、今まで見えていなかったものが見えなくなった。
心眼を手に入れるためには、この僅かながらの視力をも捨て去らねばならないらしい。

何かをえる、ということはこれ程に別の何かの犠牲を求める。
これは、人間が有限な存在である以上仕方のないことだ。
残念ながら受け入れなければならないだろう。

人間は選択、つまり、取捨選択から逃れることはできない。
何かを得るためには何かを諦めなくてはならない。

すぐに諦めるのは良くないが、全てを諦めないのも同じ位良くない。
私の歴史には未来永劫実現するこのない、捨て去られた選択肢で満ち溢れている。

今の私はそれだけ多くの犠牲を背負っている。


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[ 2013/05/07 23:34 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

パンを食べるか米を食べるか

人生は選択の連続である。
様々ある選択肢の先に広がる未来は、それぞれが異なる。
自分の未来は無数にある。


そして、その未来を選ぶのは自分の意思である。

朝食にパンを食べるか米を食べるか

この違いだけでも次に広がる未来は全く別の物、と考えよう。
選択とはそれ程に重要なのである。



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[ 2013/05/06 01:11 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

未完の作品

未完の作品
これの評価は、未完成なんだから低い、と思いきやそんな事はない。
評価が高い未完の作品もある。


未完の作品の評価が高い理由は、結末が用意されていないため、最後の解釈を受け手に任せる事ができる。
この点が最も重要なのだと思う。
もちろん、未完の状態でも良い作品であることは必須だが。

受け手が自由に解釈し、結末を作ることができる。
そう、まるで作者と同化する、そんな気分に浸れる。


未完の作品に受け手が結末を与えることで、作者の意思を受け継ぐ、そんな気分に浸れる。


未完の作品がしばしば良作として取り上げられる要因である。

そして、これは様々な分野に応用可能であろう。
つまり、受け手が作品の一部を担うということ。

イベントごとでは、受け手の参加型。
最近はテレビでもスマホを通して、意見の投稿することができ、それが番組で取り上げられる。
また、ある二者のパフォーマンスを見て、どちらが優れているか投票をすることができる。

このようなことが好んで受け入れられるのは、はやり受け手が介入できるからであろう。
ただ受信をするだけ、それでは発信者はいずれ時代から取り残されてしまうだろう。



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[ 2013/05/04 20:27 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

「たった2ヶ月で痩せます!」「2ヶ月もかかるのか」

「2ヶ月で痩せます!」
なんて広告をよく見る。
こんな広告を見る度にどう感じるのだろうか。
「たった2ヶ月で痩せる」
と思う人もいるだろう。

僕は
「2ヶ月もかかるのか…」
と思ってしまう。

同じ2ヶ月なのに、この差はなんだろうか。
思うに、経験の有無である。


実際に2ヶ月で痩せた人にとっては「過ぎ去った」2ヶ月なのである。
従って、今から遡ってその2ヶ月を好きなように行き来できる。
経験、つまり、思い出として瞬時に過ぎ去った2ヶ月を感じることができる。


一方、まだその経験をしていない人にとっては、「未知な2ヶ月」が待ち構えている。
全てはこれから経験すること、つまり、未来のことである。
これから経験していくことなので、瞬時にこれからの2ヶ月を行き来する事はできない。

たった2ヶ月で痩せる
2ヶ月もかかる

この両者の違いは、過去的か未来的かで生じる差異である。
「たった2ヶ月」
そう感じられる人は、過去に経験をしているか、似たような経験をしている人である。

「2ヶ月も」
そう感じる人はその分野を未経験な人である。

人は経験した時間を好きに行き来する事はできる。
好きに行き来できる時間を増やす。
有意義な人生か否かを測る一つの尺度となる。




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[ 2013/05/02 23:11 ] 時間 | TB(0) | コメント(0)

5月ですね

5月になりましたね。
人によっては、もう5月。
人によっては、まだ5月。
同じ長さの時間を過ごしているのに不思議。

もう5月、と思う人は過去を思い描きながら発言している。
まだ5月、と思う人は未来を思い描きながら発言している。


過ぎた時間を遡るのは一瞬でできるが、これからは一秒一秒を積み重ねていなばならない。
どちらを基準にするかで感じ方も変わるのは当然だろう。


そして、もう、まだ、どちらも大切なこと。
過去を見つめて、未来を見据える。
もう5月?まだ5月?とまどろんでいる人が、実は時間を大切にする人なのではないだろうか。


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[ 2013/05/01 23:28 ] 時間 | TB(0) | コメント(0)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
★当ブログはリンクフリーです★

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