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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

自分能力を超えた正義

行き過ぎた、自分の能力を超えた正義は捨て去るべきである。
もちろん、それを目指すことは大いに結構だが。
正義は自分の能力の範囲内にあるべきだ。

自分の能力を超えた正義は自分を滅ぼしかねない。
自分の能力を超えた正義は暴走しかねない。

私はこれをやり遂げねばならない、という正義感。
自分の能力内であれば、どういう形であれ、解決することができるだろう。

しかし、自分の能力を超えていたとしたら。
いくら正義感が強かろうとそれを解決することはできない。

そして、正義感が私を押しつぶし、君は壊れてしまう。
  「なぜだ!なぜ私にはできない!」
あるいは、自分を不当に正当化して、正義の名の元暴走してしまう。
  「私が間違っているはずがない。私の正義が!私の正義を受け入れないこの世界は誤りだ!」

人は正義を掲げて行動している自分が正しいと思い込む。
そして、自分の言うことを聞かない者、自分に反対するものを悪であると思い込み糾弾する。
正義という権力の基に。

正義は人を惹きつける、素晴らしい人徳の一つだ。
だがそれは、正義がその人の能力内に収まっている時に限る。
正義は誰でもが気安く扱えるものではない。
歴史を振り返れば、正義の名の基どれほど残酷な出来事が起こっていることか。
暴走した正義は歴史上に散見される。


この世に正義を示すのは他ならぬ君なのだ。
その正義を示す君が、正義に押しつぶされては本末転倒だ。
その正義を示す君が、正義の暴走を止めることができなくてはどうする。

君の能力を超えた正義、それは今の君が持つべきものではない。
今の君の限界を超えた君が持つべきなのだ。

君は妙な正義を持つ必要は無い。
成長するべきだ。能力を磨くべきだ、君の限界を超えるべきだ!
そして、正義を扱える様になったとき、この世に正義を示してくれ!


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[ 2014/08/12 21:32 ] 正義 | TB(0) | コメント(0)

正義と人間~人間は正義を扱えるか~

争いが起こる。
そこには必ず介在するものがある。

正義

争っている者同士が自分の正義を掲げて闘いに臨んでいる。


真の正義とは皆が賛同するものである。
そのため、正義の下で争いが起こることはないはずだ。
しかし、実際には正義の名の元、争いが行われている。
人類の歴史を紐解いても、それは同じである。

争いの場では対立する正義は悪である。
そして、悪とみなされた正義から見れば、その相手は悪なのである。

正義と正義との闘いは、そのまま、悪と悪との闘いとなる。
これは、われわれの掲げる正義が不完全なものだからである。
完全な、真の、正義であれば、正義と対面した時に争いは起こらない。
なぜなら、両者の正義は一致しているのだから。

われわれの掲げる正義は不完全である。
これは、人間が不完全である以上、避けることのできない事実だ。
人間が不完全であるが故に、その人間が掲げる正義は必然的に不完全となる。
不完全なものから、完全なものは生まれないのだ。


そのため、人間界では正義と正義とが対面すると、異質な2つが対面しているかのように見える。
実際は、どちらも正義なのである。
しかし、人間が不完全であるがために、自分の掲げる正義の範囲外の正義は、正義とみなすことができない。
よって、自分の範疇外の正義は悪とみなし、自身の正義の名の元に攻撃を始める。

正義と正義との争いは、いずれ決着が着く。
どちらかが勝ち、どちらかが負ける。

しかし、勝利した正義は何を打ち負かしたのか。
彼が打ち負かしたのは、自分の範囲外の正義なのである。
正義を潰した正義は、その後も正義であり続けることができるのだろうか?
正義と正義との争いが続く限り、また別の正義が襲ってくる。
その正義との争いに勝ち続けなくては正義であり続けることはできない。
この構図では正義が争いを生んでいる。
人間に害をもたらすものとして、悪と同類である。

正義であり続けるためには、あらゆるものに勝利していかねばならないのか?
正義とは、争いの上に君臨するものなのか?

思い出して欲しい、われわれが掲げる正義は不完全な正義なのだ、ということを。
われわれの正義と対面する正義も正義なのだ。
つまり、お互いが正義の一部なのだ。
本来取るべき道は、争いではなく、お互いを取り込み真の正義に近づくことなのだ。


しかし、人間は不完全なのである。
不完全な人間が扱う以上、正義も不完全なものしか扱えない。
人間である以上、正義と正義との潰し合いは避けることができない。
不完全な人間には、正義と正義が対立するように見え、たがいに受け入れ合うことができないのだから。

正義とは、人間が扱うことのできない代物だ。
正義あるところに争いが生じる。
ならば、人間は正義を放棄すべきだ。
正しいことを正しいと思えない人間に、正義を扱う資格はないのだ。

正義を扱うには、人間はあまりに未熟すぎる。


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[ 2013/08/29 21:13 ] 正義 | TB(0) | コメント(0)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
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