FC2ブログ

哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

言い訳としての自由

好き勝手やって責任は取らない。
周囲に迷惑ばかりかけている人。
こんな人は「自分自由だし」という支離滅裂な言い訳を言い放ってくる。

自由には責任が伴う。
それは、必ずしも相手に迷惑をかけるな、という命令調の責任ではない。

根底にあるのは、自由を守る、という責任である。

この責任なくしては、世の中すべからく無責任な人間で溢れかえることとなる。
そのような世界は滅亡へと突き進んでいる。

自分が自由であるためには、相手も自由でなければならない。
自分の自由も相手の自由も、同じ自由なのだから、先の責任を果たさなくてはならない。

冒頭の支離滅裂な言い訳をする人間がおこなっているのは自由ではない。
彼は欲望のまま突き動かされている。

欲望のまま動くのが良いか悪いかは別の問題であろう。
けれども、欲望のまま動くのは自由ではない。


自由とは、数ある選択肢のから一つを選び取ることである。
これに対して、欲望による行動は単なる「反応」にすぎない。
どちらも自分の望むことをしているようで、そこに至る道のりは全く異なる。


無思慮な自分の行動を自由になすりつけるのはやめよう。
欲望のまま動いたのなら、素直にそれを認めよう。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーサイト



スポンサーリンク
[ 2013/09/12 20:30 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

好きに、自由に選択している

自分は好きなように、そう、自由に物事を選択し実行している。
こう考えている人は多いだろう。
ぼくも、よく自分は自由に物事を扱っている、と思っている。

だが、これは思い込みに過ぎないのかもしれない。
というのも、人間の選択には自身の経験が影響するところが大きいから。


自由に選択しているつもりでも、実は過去の経験に引っ張られて選択している場合もある。
この場合は、経験に選択させられているのだ。
自由ではない。


本当に自由に選択するには、経験を参照するのは良いが、常にあらゆる可能性に己の判断を下さなくてはならない。
そして、選択する以外の選択肢を切り捨てる勇気を持たねばならない。

自由、とは中々に手強い相手なのだ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/26 08:25 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

自由と迷い

人は選択肢が多い状態を自由と呼ぶ。
選択肢が多いことは自由だと思っている。

選択肢が多数用意できることは、選択肢を少数しか用意できないことよりも良い状況である。
しかし、その状態が自由であるとは思えない。
選択肢の多寡は自由とは関係がないように思える。


ぼくが言いたいのはこうだ。
選択肢の多さとは、迷いの多さなのである。
自由とは、あらゆる選択肢の中から1つを選び出すこと。


複数の選択肢がある状態、これは迷っている状態である。
自由な人は迷わない。
自分の自由によって、己が求める1つを選択するのだから。


自由とは1つを選び取ることである。
あらゆる迷いを捨て去り、求めた1つを選び取る、これこそが自由なのだ。

選択肢が多い状況、これは自由に至る前段階なのだ。
自由を手にするには、その先へ行かねばならない。
自らの意思により、その他大勢を切り捨て、1つを選び取る。

自分の欲するものを叶える、これが自由なのだ。
選択肢の数は問題ではない。


あれもこれも、は一見自由に見える。
しかし、その実は自由とは程遠く、迷っているのだ。


当然、あらゆる選択肢を切り捨てることは難しい。
ーだから、迷っている状態なのであるがー
自由を行使して1つを選択するには、次のことが土台として必要である。
自分の求めているものを選ぶ判断、それ以外を切り捨てる勇気。




生半可な気持ちでは自由は行使できない。
判断、勇気がないものは、迷い続けるしかないのだ。
それを自由と錯覚しながら。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/08/26 00:24 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

使命

人間に生まれながらの使命はあるのか?
あるとして、それに従って良いのか?

生まれながらの使命があるとして、それはどの様に見つけるのか?
自分のやりたいこと?
だとしたら、それは自己欺瞞ではなかろうか。
与えられた使命が、自分の望んでいるものと一致する。
そんなご都合のよろしい話があるだろうか?
もちろん、場合によっては、与えられた使命と運良く一致することはあるかもしれないが。

これは私が生涯をかけて果たすべき使命だ。
こう人が言う時、それは自分を奮い立たせるための、一つの手段であろう。
また、果たすべき使命を声高に叫ぶ人は、同時に自由を求める。

自由は与えられるものじゃない。
自分で選び取るものだ。

生まれながら与えられる使命、自ら選び取る自由。
多分この二つは両立しない。




このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/07/18 03:16 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

他人に迷惑をかけなければ何をしても私の自由、ではない

他人に迷惑をかけなければ何をしようが私の自由。

何をしてもいい、という気ままなことを自由というのではない。

この場合、自由という単語は持ち出すべきではないだろう。


他人との関係で問題になるのは、選択肢である。

他人に迷惑をかけない選択肢は好きなだけ作って良い。
これが正しいのではなかろうか。

その用意した選択肢を選ぶ。
自由はここで登場する。


他人に迷惑をかける選択肢は排除すべきである。
自由の前に、他人に迷惑をかける思考を捨て去らねばならぬ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/06/04 01:37 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

運命の出会い

運命の出会い

なんとも心踊る言葉である。

運命の人

そんな人と結ばれたいものである。



一方、

私が好きになった人と結ばれたい

こんな素敵な言葉もある。

運命とは、人間の範疇を超えあらかじめ決定していることである。
つまり、運命の出会い、運命の人とは、超越者によって結び付けられた二人、ということになる。
ある意味、強制によって結びついた二人だ。

対する、私の好きな人、とは私の自由意志によって選び抜いた、そして自由意志により結ばれる二人である。


人は、自由恋愛を謳いながら、運命に憧れる。
人が欲しているのは、自由と強制、果たしてどちらなのだろうか。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/04/26 22:35 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)

自由人ってたまに聞くけど

たまに聞く言葉に「自由人」というのがあります。

僕はこの言葉が嫌いです。
この言葉が意味するところは、
身勝手、わがまま、に近いでしょう。

でも、自由っていうのは、そんなちゃちなもんじゃない、と思う。
自由ってのは自分の意思で取捨選択していくこと。
思いつきでフラフラしているのとは違う。

確たる意思で一本の道を進む。これこそが自由だと思う。
雑記だからこんなもんで。
iPhoneからの更新を試みてみた。
なんとなく、フラフラと書いたから今の僕は自由じゃなかった。


このエントリーをはてなブックマークに追加

スポンサーリンク
[ 2013/04/05 21:02 ] 自由 | TB(0) | コメント(0)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
★当ブログはリンクフリーです★

twitter
検索フォーム