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哲学科卒のサラリーマンによる戯言~自由及び生の考察~

若手サラリーマンの日常。そして、哲学や思想。

我が存在

実に1年半ぶりの更新である。

戯れ言すら思いつかないのかと言えばそうでもない。

怠惰に懺悔である。


1年半私が記事を更新しないことで、疑問に思った方は恐らく一人もいないだろう。
もちろん、生活に支障が生じた方もいない。
かく言う私も健全だ。

何も、オンラインだけの話ではない。
オフラインであったとしても、遠く離れた知人が存在はしていようがいまいが、あなたの生活にはなんの支障も来さない。


あなたにとって、私が存在するとは一体どういうことなのだろうか。私が存在するから、あなたにどんな影響があるのだろうか。

人間の存在には、本来的には大した意味は無いのだろうか。


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[ 2017/12/30 18:51 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

在宅勤務の可能性


「どこで何をしているのか分からない。労働時間の管理が難しい」

よくある、在宅勤務の反対はこれらの意見だろう。

しかし、よくよく考えてみるとほとんどの会社にこれに該当する人々がいる。


営業、と呼ばれる方々だ。



もちろん、営業の皆様は日々新規開拓に既存のお客さまとのコミュニケーションで動き回っているはずだ。

はずだ、というのは中には、「さぼる営業」もいるからだ。

「さぼる営業」の存在はよく話題にあがるし、グーグルで検索してもたくさん出てくる。


今回は「さぼる営業」がテーマではないのでこれ以上の深堀はしないが、営業の日々の活動実態がよく分からないのはほぼ正しいと見て良いだろう。

営業に相互監視システムを設けない限りは、同じ組織の従業員である内勤組も相互監視は必要なかろう。
そのため、内勤組が在宅勤務をすることはなんら問題ないはずだ。

もちろん、営業もだ。
必要な書類は家で作ればよかろう。
必要な電話も家ですればよかろう。

在宅勤務には情報管理の観点や顔が見えないことでのコミュニケーション不足といった別の問題もある。

しかし、どこで何をしているのか分からない。労働時間の管理が難しい、については営業の存在を考えると在宅勤務の否定材料にはならないだろう。

この反論はバイアスかかってるんじゃないのー?
自分の日常、常識から思考が抜け出せてないんじゃないのー?
ということだと思う。



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[ 2016/02/21 20:03 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

アニメオタクとゲームオタクとの体型



アニメオタク = デブ
ゲームオタク = ガリ

ぼくの中ではこのイメージが強い。
ぼくの付き合いの中ではこの傾向が強い、というのが正しのだろうか。

まず、なぜこう思ったのか、その経緯を述べる。

声優イベントなどアニメに関する催しには、デブが多い。
一方、ゲームセンターに行くとガリが多い。
 
当然だかが、アニメ関係にガリがいなくて、ゲームセンターにデブがいない、
と言っているわけではないのでご留意いただきたい。


なぜこうなのか、考えてみた。


それぞれ、アニメを見ている時、ゲームをしている時の状況を想像すると答えは案外簡単に推測できた。

 アニメを見る時 = ソファなり椅子に座り、食べ物、飲み物を片手にひたすら見る
 ゲームをする時 = ソファなり椅子に座り、コントローラーを握ってひたすらプレイする


非常に単純だが、食べている量や質に落ち着いてしまった。
アニメは何かをしながら見ることができる。
そして、本を読んだり寝たりするわけにもいかないから、食べるわけだ。
しかも、ポテトチップスや炭酸など高カロリーなものを・・・

一方、ゲーマーは自分でプレイをせねばならず、プレイ中は大抵両手がふさがっている。
つまり、ゲーム以外に他のことができない。
もちろん、合間に休憩は取るが水を飲む程度。
以外とゲームとゲームとの間は時間がない。
そして、いきすぎると病的に細い人間となってしまう。


どちらも不健康だからよくはないのだけれども・・・
しかし、そこまで何かに没頭できるオタクというのは素晴らしい。



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[ 2015/11/09 18:14 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

告白の仕方 


通信環境の進化から、他者と連絡をとることは非常に容易になった。

しかし、それに伴う弊害もあるようだ。

メールやラインで告白するのはありえない、と考えている人が多いらしい。

これは、その弊害の一つであろう。

どうやら、気軽に自分の意思を告げることができるから、というのが主な理由らしい。

なるほど、と納得もしかけるが、ちょっと待ちたい。


告白というと、ものすごく勇気のいることだ。
(一晩限りの付き合いでいいような相手に対する告白は別として)

振られたとしたら傷つくし、しばらく立ち直れないかもしれない。

人によっては、それが原因で自ら命を絶つことだってある。
(これは、さすがにやりすぎだとは思うが、現にそういう人もいるのだ)


とにかく、告白を受ける側は、直接、面と向かって告白の言葉を告げて欲しいらしい。

その気持ちもわかる。
だって、嬉しいもんね。


しかし、メールやラインで告白するのはなぜ軽くてダメなのか。

ラブレターというものがあるが、これによる告白は認められているように思う。

ラブレターとは、若き日の恋愛の枕詞のようでもある。

だが、ラブレターは手紙なわけだから、これだって対面ではない。

自分で筆を握るかどうかの違いはあるが、
基本的な機能として手紙とメールやラインに差はない。


ぼくは告白するのに手段は何だっていいと思う。

告白を受ける側の理想というのもあるだろうが、
告白をする人間の現実も考えてあげて欲しい。

受けとったメールやラインに、告白をする人間は軽い気持ちで臨んではいない。
(繰り返しになるが、一晩限りの関係を求めている場合はこの限りではない。数で勝負な側面が大いにあるから)


必ずしも、告白側の希望に応える必要はないが、
手段が何であれ、告白を受ける側は告白側の気持ちを少しは考えみてはどうだろう。

告白にお手頃ツールを使うような人とは付き合えない、という短絡的な考えでは
人生を変えるような出会いを逃す可能性だって大いにあるのだから。

だってそうでしょう?
パートナーに何を重視するって、「性格」っていうじゃない。


まさか、綺麗事じゃないだろう。




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[ 2015/06/06 18:10 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

アドラー心理学と日本

アドラー心理学は縦の関係を否定する。

日本には敬語がある。

敬語を使う限り、縦の関係をから解き放たれない。

この日本でアドラー心理学は定着するのか?


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[ 2015/02/21 14:31 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(1)

仕事と私事/仕事だから我慢をする

「そりゃ、仕事だからしっかりやるよ」
「これも仕事だからね」

自分の責務を全うする姿勢はとても素晴らしいと思う。
何か不都合なことを隠蔽する理由に使っていなければ、だが。


「仕事も遊びも全力で!」

これにはどこか違和感を感じる。

なぜ、仕事を全力でやっていることに対して、遊びを全力でやっていることを持ち出してくるのか。

人生を全力で生きているのなら、仕事だろうが私事だろうが、言わずもがな全力なはずである。

そんなに自分の「全力」に自信がないのだろうか。


ついでにもう一つ。

「仕事だから我慢しろ」

これは違う。


「組織で活動しているのだから我慢しろ」

これが正しい。

仕事で我慢をする必要は本来的にはないはずだ。
しかし、所属する組織の目指すところ、風土によって、個人の思うようにできないことが発生する。
このときに「我慢」をする必要が生じる。

決して仕事だから我慢が必要なわけではない。
同じ仕事でも、他の組織なら我慢不要、ということも有り得るだろう。


仕事の対比として用いられる私事であったとしても、他者と行動を共にする際には「我慢」する時が来るはずだ。
個人同士の付き合いを「組織」と呼ぶにの大げさだが、仕事で発生する「我慢」と性質は同じである。


仕事だから我慢する、この考えは即刻捨て去るべきである。


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[ 2014/09/13 18:05 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(2)

1人の100%かみんなの80%か

共同作業はこれで進む。

1人の100%、もしくは、みんなの80%

全員が満足する結果を導き出すことはできるが、それがみんなにとっての最善であることはない。
必ず妥協がある。

もちろん、中には1人で引っ張っていくワンマンな人もいる。
そういう場合、そのワンマンの100%で共同作業は進んでいく。

もちろん、ワンマン以外にも作業はあるだろう。
だが、そこに思想はない。
ワンマンの100%ができあがる。
そこにあるチームワークはワンマンの手となり足となること、つまりコマになることだ。


コマになりたくないのなら、ワンマンを阻止しなくてはならない。
ワンマンを阻止するには、ワンマンを80%に引き込むか、代わりに自分がワンマンになるか、だ。

本当にチームワークを大切にするなら、前者で解決をした。

後者では、ワンマンの限界を超えてのことはできないから。
他人をコマとして扱うならチームを組む必要がない。




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[ 2014/09/08 18:46 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

企業が副業を禁止する理由を考えてみた

多くの企業は従業員の副業を禁止している。
本業である、その企業での業務に集中して欲しいからであろう。

しかし、従業員のことを考えると副業は認めた方がいい。
そればかりか、企業のことを考えても副業は認めた方がいい。

ここでいう副業とは、個人で開設するネットショップから別の企業に勤めることまで、仕事と名のつくもの全てを含める。


さて、従業員にはどのようなメリットがあるだろうか。
従業員の立場からすると、自分のやりたいことを副業ですることができる。
いわゆるワークライフバランスの充実を図ることができる。
また、勤めている企業が万が一倒産した際にも別の収入源があるから路頭に迷うことはなくなる。

もちろんだが、従業員は勤めている企業で果たすべき責務は全うしなくてはならない。
給料泥棒は言語道断である。


さて、企業の立場からはどのようなメリットがあろうか。

これも、従業員の成長だろう。
従業員の立場からのメリットと一致する。

企業は従業員の集まりで動いている。
その従業員が副業を通して成長をすれば、企業も優秀な集団を抱えることになる。
必死こいて高いお金を払って、効果があるんだか無いんだかよくわからない研修会を開くことより、よっぽど効果がある。
もう社内に教育チーム、なんてのを設置しなくてもよかろう。
組織のスリム化にもつながった。

従業員の成長をサポートするために、様々な研修会を開きます、学校に通う費用を援助します。
こんな制度はさっさと廃止して、副業を認めればいい。
そしたら、従業員は勝手に勉強を初めて、勝手に優秀な人材になっている。

もちろん、副業の方が本業よりも魅力的と思われれば、企業を去っていく従業員も出てくるだろう。
だからなんだ、それでいいじゃないか。
従業員一人いなくなったら成り立たない、そんな脆弱な組織じゃないだろう?
この世の中、総理大臣だって大統領だって代わりがいる役職なんだ。
企業の従業員の代わりなんてそれこそいくらでもいるだろう?


むしろ、○○企業出身の誰々が外で活躍してくれることで、彼に魅力を感じた若い世代が御社を志望してくれる。

一から教育するのが大変?
だから、勝手に優秀な人材になってくれるから。


副業を認めることは、従業員にとってよりも、企業にとってメリットがより大きい。

そもそもボランティア活動は認めているのだから、副業を認めたっていいだろう。
ボランティア活動だって、所属する団体を変えれば収入が得られる立派な副業だ。

企業が副業を禁止している本当の理由はこうではないだろうか?

「あいつが俺より金持ちになるのが嫌だ」

つまり嫉妬心だ。
企業に勤めていれば、出世の有無により多少の賃金の差は出てくる。
だが、それは桁違いなものはならない。

ところが、副業を認め、彼の副業が大成功を収めたとしたら、その差は何倍にも膨れ上がり、手の届かない金持ちになってしまう。
この嫉妬心が企業に副業を禁止させているのではないだろうか。

でなければ、ボランティアを認め、副業を禁止する理由がわからない。
人間の嫉妬新とはかくも巧妙に世の中に入り込んでいるものか。


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[ 2014/08/18 22:54 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

無知を武器にする卑怯

僕知らないからさぁ、教えてよ

こういう発言はよく聞く。
分からないことを素直に聞いているのだから、知ったかぶりよりも数段よろしい。
ただし、それは最後まで説明をきちんと聞く場合に限る。


こんな人がいる。
分からないと言うから、ぼくが説明を始める。
説明の途中で、でもそれってさぁ、こういう理由でおかしいんじゃない?

疑問を挟むのは大いに結構。
しかし、忘れてはいけないのは、自分は知らないから教えてくれ、といったその立場である。
わざわざ教えてもらっているのに、道半ばで否定するとはどういうことだ。


さらに、自分の主張したい意見があるのだろう人が、同じ手段を使うことがある。
分からないから教えて、と迫ってくる。

教えはじめたところで、疑問を挟み議論をふっかけてくる。
やむなくその議論に付き合っていると、こう言い出す。


いや、私は詳しいことはしらないから、細かいこと言われても困る、と。

無知を武器に、言いたい放題。
旗色が悪くなると、無知を盾に引き下がる。

ぼくは極めて卑怯なやり方だと思う。



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[ 2014/08/03 14:33 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)

卑下と賞賛

人から卑下される行為を行うことは簡単である。
人から賞賛される行為を行うことは難しい。


人間は甘えた動物だから、他人にはすこぶる厳しいが、自分にはすこぶる甘い。
だから、賞賛される行為は難しい。

行為が卑下されるか、賞賛されるかは他人の判断によるものだ。
であるならば、卑下と賞賛とは、否定は簡単で肯定は難しい、と同義ではないか?
他人にはすこぶる厳しいが、自分にはすこぶる甘いのだ。


怠け者である他人は卑下するが、怠け者である自分は卑下しない。
働き者である他人は賞賛しないが、働き者である自分は賞賛する。

こういうわけだから、賞賛される人物というのは中々いない。
他人にはすこぶる厳しいが、自分にはすこぶる甘い人間が、
それでも賞賛すべきだ、と思う人だけが世間からの賞賛を得ることができる。


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[ 2014/05/16 10:27 ] 戯言・メモ | TB(0) | コメント(0)
プロフィール

智葉 哲三(ちば てつぞう)

Author:智葉 哲三(ちば てつぞう)
自由、幸福な生を主題に哲学します。学生時代はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』から幸福を考察した。都内でサラリーマンを始め転勤で新潟へ。まだ若手。日常の出来事なんかも書きます。
連絡はこちらへ tetsuzou.c@gmail.com
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